新羅人参渡(しらきひとまるわた)り来ぬ。ここをもちて建内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)引き率いて、【渡の堤池】として【百済池】を作りき
また百済の【国主(こにきし)照古王(せうこわう)】、
牡馬壱疋(をまひとつ)
牝馬壱疋(めまひとつ)
【を阿知吉師(あちきし)】に付けて貢上(たてまつ)りき。この阿知吉師は【阿直史(あちきのふみと)】らの祖
また横刀(たち)及大鏡を貢上りき
また百済国に科(おほ)せ賜はく
「もし賢(さか)しき人あらば貢上(たてまつ)れ」
とおほせたまひき
故、命を受けて貢上れる人の名は
【和邇吉師(わにきし)】
【論語】十巻
【千字文(せんじもん)】一巻
あわせて十一巻をこの人につけて貢進(たてまつ)りき
この和邇吉師は【文首(ふみのおびと)】らの祖
【手人韓鍛(てひてからかぬち)】名は卓素(たくそ)
【呉服(くれはとり)】の西素(さいそ)二人を貢上りき
【秦造(はたのみやっこ)】の祖
【漢直(あやのあたひ)】の祖
酒を醸むことを知れる人
名は【仁番(にほ)
またの名は須須許理(すすこり)】等参渡り来ぬ
この須須許理、大御酒(おほみき)を醸(か)みて献(たてまつ)りき。ここに天皇、この献りし大御酒に【うらげて】、御歌にのりたまはく
須須許理が
醸みし御酒に
我酔ひにけり
【事無酒(ことなぐし)】
【笑酒(えぐし)】に
我酔ひにけり
とうたひたまひき
かく歌ひていでましし時、御杖をもちて【大坂の道中】の大石(おほいは)を打ちたまへば、其の石走りさりき
故ことわざに「堅石(かたしは)も酔人を避く」といふ
★渡の堤池
帰化人の造った池
★百済池
北葛城郡広陵町百済
★国主照古王
(こにきし・せうこわう)
※こにきし→国王
※照古王→百済第十三代の王(346~375)
★阿知吉師(あちきし)
※きし→朝鮮語の族長に対する敬称、後に新羅十七階官位の第十四となり、日本では姓(かばね)の名になった
※「応神紀」では阿直伎。儒学者で皇太子の師に任ぜられたとある
★阿直史(あちきのふひと)
※あちき→氏の名
※ふひと→文人
※文書・記録をつかさどる部民の首長。諸国に史部が設けられたが、その大部分は朝鮮及び中国からの帰化人であった
★和邇吉師(わにきし)
北朝鮮楽浪郡の王氏出身説
漢の高祖の子孫説
★論語
儒教四書の一
中国の戦国時代後半期に孔子の門人が編集。孔子と門人の対話を中心とした人生訓の書
★千字文
この成立は6世紀
儒書の確実な伝来は継体朝以後であって、それを応神朝まで遡及したのであろう
★文首(ふみのおびと)
※応神紀に書首とある
※文筆を業とした帰化氏族
※大阪府羽曳野市古市の地を本拠とした
★手人韓鍛(てひとからかぬち)
※手人→技術者、工芸家
※韓鍛→朝鮮の鍛冶職
★呉服(くれはとり)
中国の呉出身の機織りの女工
★秦造(はたのみやっこ)
※秦の民の管理者
※漢直と共に楽浪・帯方二郡に移住していたが、戦乱を避け一族を率いて日本に帰化
※祖は弓月君(ゆつきのきみ)
★漢直(あやのあたひ)
※記録、大蔵管理などにあたり奈良盆地南部に居住
※祖は阿知使主(あちのおみ)
★仁番(にほ)・須須許理
※にほ・すすこり、ともに名義未詳
※餌香(えが)に住む高麗人が良酒を造る[釈日本紀]
※えが→大阪府藤井寺市国府
★うらげて
うきいきして
★事無酒(ことなぐし)
※飲めば無事平安である酒
※くし→酒のほめことば
★笑酒(えぐし)
※飲めば笑いたくなる酒
※この歌は酒宴の場で客が謝意を述べた謝酒歌
★大坂の道中
大和から河内に行く穴虫街道
■新羅(しらぎ)の人々が渡ってきた。それで建内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)がこれを引き連れて、渡(わたり)の堤池(つつみのいけ)として百済池(くだらのいけ)を造った
また百済の国王の照古王(しょうこおう)は、雄馬一匹・雌馬一匹を阿知吉師(あちきし)に託して献上した。[この阿知吉師は阿直史(あちきのふみと)らの祖先]
また百済の国王は太刀と大鏡を献上した
天皇は百済国に命じて
「もし百済に賢人がおるならば献上せよ」と仰せになった
そこで勅命を受けて献上した人の名は和邇吉師(わにきし)という。その時に「論語十巻」「千字文一巻」あわせて十一巻をこの人に託して献上した[和邇吉師は文首(ふみのおびと)らの祖先]
また朝鮮鍛冶の技術者で名は卓素という者、呉出身の機織り女の西素という者の二人を献上した
さらに秦人の管理者である秦造(はたみやっこ)の祖先、漢人の管理者である漢直(あやのあたい)の祖先、酒の醸造を知っている人で名は仁番(には)、別名を須須許理(すすこり)という者たちが渡来してきた
この須須許理はお酒を醸して天皇に献上した。その時天皇はこのお酒を飲み気持ちが愉快になり、歌をよまれた
「須須許理が醸し造った酒に、私はすっかり酔ってしまったよ。無事平安になる酒、笑いたくなる酒に、私はすっかり酔ってしまったよ」
このように歌って大和から河内へお出ましになった時、杖で大坂の道の中ほどにある大きな石を打つと、その石は勢いよく転がって天皇を避けた
ゆえにことわざに「堅石も酔人を避く」というのである