るるの日記

なんでも書きます

古事記・仁徳天皇・家出した皇后を誘う歌を贈る

2021-02-12 11:54:27 | 日記
天皇、其の大后山代より上りいでましぬと聞しめして、【舎人(とねり)】名は【鳥山】といふ人を使はして、【御歌】を送りてのりたまはく

「山代に
【い及(し)け】鳥山
い及(し)け
い及(し)け
吾が愛(は)し妻に
いしき遇はむかも」

とうたひたまひき
又続ぎて【丸邇臣口子(わにのおみくちこ)】を遣わして歌ひたまはく

「【御諸(みもろ)】の
その【高城(たかき)】なる
【大猪子(おほいけ)が原】
大猪子が
腹にある
【肝向(きもむか)ふ】
【心をだにか】
相思(あひおも)はずあらむ」

とうたひたまひき
又歌ひたまはく

「つぎねふ
山代女(やましろめの)
【木鍬(こくは)】持ち
【打ちし大根(おほね)】
【根白(ねじろ)の
白腕(しろただむき)】
枕(ま)かずけ【ばこそ】
【知らずとも言はめ】」

とうたひたまひき

★舎人(とねり)
天皇・皇族の側近にあって雑用に奉仕する者

★鳥山
鳥が使者となる擬人化

★御歌
天皇から鳥山に与えた歌

★い及(し)け
※い→強調の接続語
※しけ→及べ、追いつけ

★丸邇臣口子(わにのおみくちこ)
※口子→使者として口上を伝える
※丸邇氏→代々后妃を多くだした後に春日氏という
※丸邇→天理市和邇の地

★御諸
みもろ→神のこもる所。御所市三室山

★高城(たかき)
高地にある狩場
き→区切られた地域

★大猪子(おほいこ)が原
※大きい猪がいる原
※葛上郡池心宮(孝昭天皇の宮)の名を大韋古原という
※御所市池之内

★肝向(きもむか)ふ
※心の枕詞
※肝→内臓の総称で心が宿る
※原→腹→肝の連想

★心をだにか
(同居できないなら)、せめて心だけでも

★木鍬(こくは)
鍬先が木製の鍬

★打ちし大根(おほね)
打つ→田畑を鍬で耕作する
大根(おほね)→大根(だいこん)

★根白(ねじろ)の白腕(しろただむき)
※根白→白腕を比喩的に装飾する語

★ばこそ
「事実はそうではない」という意味を含んだ仮定

★知らずとも言はめ
女を誘う歌として、あなた(女=皇后)が私(男=天皇)のことを知らないとは言わせないの意味

■天皇は皇后が山城から川を上っていらっしゃったと聞いて、舎人(とねり)で名を鳥山という者を遣わし、そして歌を贈った

「山城で、皇后に追いついてくれ、鳥山よ。さあ追いつけ、追いついてくれ。私の愛しい妻に、追いつき出会っておくれよ」

続いて丸邇臣口子(わにのおみくちこ)を皇后のもとへ遣わして、それに歌を託した

「御諸山の、その高地にある大猪子が原。その名のごとく大きな猪の腹にある肝向かう心、せめてその心のうちだけでも思ってくれないだろうか」

「つぎねふ、山城の女が、木の鍬を持って、畑を耕して作った大根。その根の白さほどの、おまえの白い腕を、私が枕としなかったのならば、おまえは私のことを知らないといってもよいが、そうはいわせないよ」







古事記・仁徳天皇・皇后家出する

2021-02-12 10:17:05 | 日記




(皇后)即ち宮に入り坐さずて、其の御船を【引き避(よ)き】、【堀江】にさかのぼり、【河】のまにまに、山代に上りいでましき。この時、うたひたまはく

「【つぎねふや】
【山代河】を
河上り
我が上れば
河の辺に
生ひ立てる
【烏草樹(さしぶ)】を
烏草樹の木
其(し)が下に
生ひ立てる
葉広
【ゆつ真椿(まつばき)】
其(し)が花の
照り坐(いま)し
其が葉の
【広り坐すは大君ろかも】」

とうたひたまひき
即ち山代より廻りて【那良山の口】に到り坐して歌ひたまはく

「つぎふねや
山代河を
宮上り
我が上れば
【あをによし 奈良を過ぎ】
【小楯 大和を過ぎ】
我が見が欲し国は
【葛城高宮】
我家(わぎへ)のあたり」

とうたひたまひき
かく歌ひて還りたまひて、暫(しま)し【筒木】の韓人(からひと)、名は【奴理能美(ぬりのみ)】の家に入り坐しき

★引き避(よ)き
※船を綱で引いて川を上り、高津宮を避けて
※避き→よける

★堀江
※難波の堀江
※淀川の氾濫を防ぐため、高津宮の北を切り開いた放水路
※今の天満川の川筋

★河
淀川

★つぎふねや
※山代の枕詞
※大和から山城へは幾つもの峰を経ていくから説
※植林の苗木を育てる地を山代というから説

★山代河
京都府相楽郡木津町付近から下流の木津川(京都市伏見区淀で宇治川と合流して淀川となる)

★烏草樹(さしぶ)
ツツジ科の常緑低木
今は「しゃしゃんぼ」とよぶ
関西以西の暖地の山野にはえる

★ゆつ真椿(まつばき)
※ゆつ→神聖な
※椿は旺盛な生命力を持つ呪的植物

★広り坐(いま)すは 大君ろかも
※この歌の本旨
※広り→広がる→ゆったりしている
※大君→天皇

★那良山の口
大和から山城へ越える奈良山(奈良市北郊)の入り口。大和側の入り口

★あをによし奈良を過ぎ
※奈良の枕詞
※奈良から青土が出たから説

★小楯 大和を過ぎ
※大和の枕詞
※大和のや(矢)を連想して建て楯に結びつけた説
※この大和は大和国城下郡大和(おほやまと)
※天理市南部の大和(おほやまと)神社周辺。山辺道が通る

★葛城高宮(かづらきたかみや)
※地名で大和国葛上郡高宮
※皇后が家郷を見たいという歌

★筒木
山城国綴喜郡綴喜(つづき)
京都府綴喜(つづき)郡田辺町付近

★奴理能美(ぬりのみ)
百済からの帰化人


■皇后は皇居である高津宮には戻らずに、船を綱で引いて宮を素通りし、難波の堀江をさかのぼり、淀川を山城国に上って行かれた
この時、皇后は歌った

「つぎふねや、山城川を川上りして私が上っていくと、川のほとりに生え立っている烏草樹(さしぶ)よ、烏草樹の木、その下に生え立っている葉の広い神聖な椿、その花のように照り輝いていらっしゃり、その葉のようにゆったりしている方は、我が大君でございますよ」

山城を巡って、奈良山の入口に着いて皇后は歌った

「つぎふねや、山城川を宮をめざして私が上っていくと、あをによし、奈良を過ぎ、小楯、大和を過ぎて、私が見たいと思う国は、葛城の高宮、私の家のあたり」

このように歌って山城に戻って、しばらく綴喜の韓人で名を奴理能美(ぬりのみ)という者の家にしばらく滞在になった


古事記・仁徳天皇・皇后恨み怒り御綱柏を全て海に投げ捨てた

2021-02-12 08:49:44 | 日記
ここに大后、大(いた)く恨み怒りて、其の御船に載せし御綱柏(みつなかしは)をばことごとに海に投げ棄(う)てたまひき
故、其の地(ところ)を号(なづ)けて【御津前(みつのさき)】といふ

★御津前(みつのさき)
大阪市南区の道頓堀川に近い三津寺町付近

■皇后はたいそう天皇を恨みお怒りになって、船に載せてきた御綱柏(みつなかしわ)をすっかり海に投げ捨ててしまった
ゆえにその地を名づけて御津前(みつのさき)というのである

古事記・仁徳天皇の浮気を皇后に告げ口する者

2021-02-12 08:37:01 | 日記
大后、御綱柏(みつなかしは)を御船にに積みみてて還りいでます時、【水取司(もひとりのつかさ)】につかはゆる吉備国の【児島】の【仕丁(よほろ)】、これ己(おの)が国に退(まか)るに、難波の大渡に後(おく)れたる【倉人女(くらひとめ)】の船に遇(あ)へり

乃ち語りて云はく
「天皇は比日(このごろ)、八田若郎女(やたのわきいらつめ)に婚(まぐはひ)したまひて、昼夜戯(ひるよるたはぶ)れ遊びますを、もし大后はこの事を聞(きこ)しめさねかも、静に遊び行でます」
といひき

ここに其の倉人女、この語る言を聞きて、即ち御船に追ひ近づきて、状(ありさま)を具(つぶさ)に仕丁の言の如くまをしき

★水取司(もひとりのつかさ)
宮中の飲料水をつかさどる役所

★児島
岡山県の児島半島

★仕丁(よほろ)
※膝の裏側の部分が原義
※脚力を使う人足・人夫

★倉人女(くらひとめ)
後宮十二司の一つ蔵司に使われる女

■皇后が御綱柏(みつなかしは)を船に満載にして帰っていらっしゃる時、水取司(みずとりつかさ)に使われる吉備国の児島出身の人足が、自分の郷里に帰る途中、難波の大渡で、皇后の船に遅れた倉人女(くらひとめ)の乗っている船に出会った

人足が倉人女に「天皇はこのごろ、八田若郎女(やたのわきいらつめ)と結婚なさり、昼となく夜となく戯れ遊んでおられますが、もしや皇后はこのことをご存知ないから、あのようにのんびりと遊びに出かけていらっしゃるのでしょうか」と告げた

倉人女はこの話を聞き、すぐに皇后の船に追いついて、事の次第を詳しく人足の話のとおりに申し上げた

古事記・仁徳天皇・石之日売皇后がいない間に八田若郎女とまぐあう

2021-02-12 07:59:37 | 日記
これより後の時、大后、【豊楽(とよのあかり)】したまはむとして、【御綱柏(みつなかしは)】を採りに【木国(きのくに)】にいでましし間(ひま)に、天皇、【八田若郎女(やたのわきいらつめ)】に婚(まぐはひ)したまひき

★豊楽(とよのあかり)
新嘗祭の酒宴

★御綱柏(みつなかしわ)
先端がとがって三岐に分かれている木の葉。これに酒を受けて飲む

★木国(きのくに)
紀伊国・熊野岬
和歌山県

★八田若郎女(やたのわきいらつめ)
応神天皇の皇女

■黒日売のことがあってから後のこと、皇后の石之日売命(いしのひめのみこと)が新嘗祭の酒宴をしようとして、酒を盛る盃にする御綱柏(みつなかしわ)を採りに紀伊国(きのくに)にお出かけになった間に、仁徳天皇は異母妹の八田若郎女(やたのわきいらつめ)とご結婚なされた