るるの日記

なんでも書きます

古事記・火たきの兄弟が身分を明かす

2021-02-15 12:34:30 | 日記
故、【火焼(ひたき)の小子二口(わらはふたり)竃(かまど)の傍(かたは)らに居たる。その少子(わらは)どもに舞はしめき

ここに其の一(ひとり)の少子
「汝兄(なせ)先に舞ひたまえ」
といへば、其の兄もまた
「汝弟(なおと)先に舞へ」
といひて、かく相譲りし時、其の会(つど)へる人ども、其の相譲る状(さま)を咲(わら)ひき

ここに遂に兄舞ひおへて、次に弟舞はむとする時【詠(ながめごと)】していはく

「【物部(もののふ)】の
我が【夫子(せこ)】の
取りはける
太刀の手上(たがみ)に
【丹】画きつけ
其の緒は【赤幡をかざり】
【赤幡を立てて】見れば
五十(い)隠る
山の【三尾(みお)】の
【竹をかき苅り
末押し靡(なびか)す】なす
八紘(やつお)の琴を調ぶる如
天下(あめのした)治め賜ひし
【伊耶本和気天皇(いざのわけのすめらみこと)】の御子市辺之押歯王(みこいちのへのおしはのみこ)の
奴末(やっこすえ)」

★人焼(ひた)き小子二口
※火をたく役の少年二人
※口→、などに用いる

★詠(ながめごと)
声を長く引いて吟詠すること

★物部(もののふ)
勇敢なる者、武人

★夫子(せこ)
男子を親しんで呼ぶ語

★丹(に)
赤土
赤色は元来悪霊邪気を祓う呪色であったが、のちには権威の標識に用いられた

★赤幡を飾り
赤い布を張りつけ

★赤幡を立てて
大きな赤幡
戦陣に天皇旗として赤幡を立てた

★三尾(みお)

★竹をかき苅り末押し靡かす
竹を根本から刈り、その先を地上になびかすように

★伊耶本和気(いざほわけの)天皇
履中天皇

■火を焚く役にあった少年二人が竃(かまど)のそばにいたが、その少年たちにも舞うように命じた

ところが、その中の一人の少年が「兄さんから先に舞いなさい」というと、その兄もまた「おまえから先に舞いなさい」といって、互いに譲りあっていた時、その場に集まっていた人たちは、二人の譲りあう有様を見て笑った

そして、とうとう兄が舞い終えて、次に弟が舞おうとする時、声を長く引いて歌うには

「武人である我が君が、腰につけている太刀の柄に、赤土を塗り、その緒は赤い布で飾り、戦陣になびかす赤旗を立てて、見ると、その赤旗に隠れる山の峰に生える竹を根本から刈り、その先を地上に敷きなびかすように、威風堂々と、また八紘の琴の調子を上手に調えるように平安に、天下を治めになった伊耶本和気天皇の皇子市辺之忍歯王の私は子供です」と名のった




古事記・播磨国の長官が人民の新築祝いに隣席。宴もたけなわにみな舞を舞う

2021-02-15 11:19:57 | 日記
ここに【山部連小楯(やまべのむらじおだて)】を【針間国】の【宰(みこともち)】に任(ま)けたまひし時、其の国の人民(おほみたから)、名は【志自牟(しじむ)】の【新室】に到りて楽(うたげ)しき

ここに盛に楽(うた)げて、酒たけなはにして【次第(つぎて)】をもちて皆舞ひき

★山部連小楯
(やまべのむらじおだて)
※山部連の先祖→伊予来目部小楯(いよのくめべおだて)
※山部連→山を管理する部族を管理する氏族

★針間国
播磨国。兵庫県西南部

★宰(みこもち)
天皇の御言をもって地方の国の政治を行う官吏。後の国司

★志自牟(しじむ)
※播磨国赤石郡にて縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)に仕えた人で、顕宗・仁賢天皇を家に住まわせた

★新室
新築祝いの酒宴

★次第(つぎて)
貴賤、老若の順序

■ところで山部連小楯を播磨国の長官に任命になった時、小楯はその国の人民で名は志自牟という者の新築祝いの酒宴に臨席した

さかんに酒宴に興じて、酒もたけなわになったころ、貴賤・老若の順序に従ってみな舞を舞った

古事記・男系男子さがし

2021-02-15 10:44:29 | 日記
清寧天皇崩(かむあが)りましし後、天下治めたまふべき王(みこ)無(まさざり)りき

ここに日継知らさむ王を問ふに、【市辺忍歯別王(いちのへのおしはわけのみこ)】の妹(いろも)、忍海郎女(おしぬみのいらつめ)、またの名は飯豊王、葛城の【忍海(おしぬみ)】の高木の角刺宮に坐しき

★市辺忍歯別王
(いちのへのおしはわけのみこ)
※市辺(いちのへ)→大和国山辺郡の地(天理市布留町付近)
※忍歯(おしは)→八重歯
※顕宗・仁賢天皇の父
※大泊瀬皇子(雄略天皇)に殺された

★忍海(おしぬみ)
奈良県北葛城郡新庄町忍海の地

■天皇がお亡くなりになったのち、天下を治めるべき王(みこ)はいなかった。そこで皇位につかれるような王を重臣たちが尋ね求めたところ市辺之忍歯別王(いちのへのおしはわけのみこ)の妹の忍海郎女(おしぬみのいらつめ)、またの名は飯豊王という方が、葛城の忍海(おしぬみ)の高木の角刺宮(つのさしのみや)にいらっしゃった




古事記・雄略天皇・神の【手打ち】

2021-02-15 09:24:57 | 日記
天皇、ここに惶(おそ)れ畏みてまをしたまはく「恐(かしこ)し。我が大神、【うつしおみ】有(な)らむとは、覚らざりき」とまをして、大御刀(おほみたち)及弓矢を始めて、百官の人たちの服(け)せる衣服(きぬ)を脱がしめて拝(をろが)み献(たてまつ)りたまひき

其の一言主大神、【手打ちて】其の奉物(たてまつりもの)を受けたまひき

天皇還りいでます時、其の【大神、山の末に満ちて】、長谷の山口まで送り奉りき。故、この一言主之大神はその時に顕れたまひしなり

★うつしおみ
現実の姿を持った人
この世の人

★手打ちて
※拍手する
※神をはじめ長上に敬意を表す
※相手に感謝の意を表す時の作法

★大神、山の末に満ちて
一言主之大神一行が山頂に大勢集まって

■天皇はこの言葉を聞いて恐れ畏(かしこ)まって「恐れ多いことです。わが大神よ。あなたさまが、現実のお方であろうとは気がつきませんでした」と申して
自身の太刀や弓矢をはじめとして、大勢の官人たちが着ている衣服をも脱がせて、拝礼して献上なされた

すると、その一言主之大神はお礼の拍手をして天皇からの献上の物をお受け取りになった

そして天皇が皇居にお帰りになる時、その大神の一行は山頂に大勢集まって、そこから皇居のある泊瀬(はっせ)の山の入口までお送り申し上げた

こういう次第で、この一言主之大神はその時に初めて現れなさったのである