祭神
大己貴命(大国主命の別名)・菊理姫・一説に磐衝別命
■猿鬼宮
1
千毒という川に岩井戸という不思議の洞窟あり。昔この洞窟に猿鬼と云う者、多くの眷属引き連れ住んで、人を捕る。数多くの美女をつまみ寄せ酒宴遊興舞い踊る。夕暮れにも鬼ども諸国の人民を害す。
神は人民を哀れに思い、八百万の神を出雲大社に集い猿鬼退治の評定し、作戦をたてる
神軍大将・気多大明神
副大将・大幡紙杉姫
その他八百万の神々
2
美しき女性が琴を弾じ、三味線の糸を調べ、歌を吟じ、種々の慰め給うと、猿鬼ども面白そうな風俗にて城内より寄せ出る
神杉姫、三条小鍛冶宗近無銘に打ちたる二尺一寸の名剱を稲光の如く引抜き、鬼の細首を打ち落とし給う
首天に登らんとすれど、かの岩穴のことなれば城内をキリキリと舞いて泣くこと、終声の奇人が叫ぶ如くなり
神杉姫、城内へ駆け込み名剱の切先に鬼の首を貫き大将気多大明神に捧げ奉れり
3
十八の眷属鬼ども罵りだす
「我が大将かくの如くならせ給えば生きている所詮なし。敵討ち給う。もし討ち死にせば、大将のお供申すべし」と八百万の神の陣中に駆けつけ喰い割り、引き割り、おどし、叫び、泣く
4
神々、神変不思議顕して「やあ鬼ども、確かに聞け。罪という罪、咎という咎は幾千万の事なれば危なきを助け、脆きを救うは神仏の所作なれども、今汝等自業自得の報い現れ、許すに筋なし。覚悟は必定なり」
責めて得さす無常なれば「吃」と一同にどっと声をつぎ、一鬼も残らず討ち取りて帰られける
5
猿鬼の亡骸、川辺に塚を作り土底に埋むといえども、心魂死骸を離れず、折々に障害をなしたるため、仏閣へ詣で、猿鬼の心魂を弔うため名剱、鬼の身骨を仏前に供え大般若経をもって17日間読経給い、その冬に畜生祭ならび猿鬼成仏の回向し給えば、猿鬼の身骨、当寺仏体、速やかに西の空へ光を放ち飛び給う
それより国も豊かに安全の祭事
千鶴万亀の祝いせり
または、その霊を祭て猿鬼の宮とてあり。魑魅魍魎の類を祭り鎮めし。
祭神・磐衝別命(垂仁天皇第十皇子)
↓
■戦後、岩井戸の守護神として白山大神(菊理姫)を勧請。社号を岩井戸神社と改めた
祭神
大己貴命(大国主命別名)
菊理姫
(磐衝別命は、一説に祭神、と現在は説明されている)
♦️るるの考察♦️
能登半島は海道で舟での出雲と交流が盛んだったので、出雲の人々の助けのもと、この地に縁ある神々が、猿鬼を退治してくれたのだろう。では魑魅魍魎の猿鬼とは誰か?私は天皇軍ではなかろうかと思う。
猿鬼を祀った猿鬼宮
祭神は磐衝別命。ということは猿鬼は磐衝別命となる。その神の本体は垂仁天皇の第十皇子で、墓はなんと石川県羽咋市「羽咋神社」にあるというのだ。そして羽咋市には猿鬼退治で神軍大将だった気多大明神の気多大社が鎮座する地。
天皇が九州から大和へ進出する際、大和を拠点としてからも、各地方を支配地にするためにたくさんの地で戦をしただろう。土着現地の人々にとっての日常はそのために荒れ果てた。
猿鬼退治の場合、天皇軍である猿鬼軍を現地に縁ある神々が(力ある軍隊か?)征伐。そのときの猿鬼軍の大将・磐衝別命(垂仁天皇皇子)は、神杉姫の名剱で首を切られ、亡骸は羽咋神社に埋葬。魂は猿鬼宮に祭られたのではないか?