■★804年・最澄・比叡山に天台宗を開く
★816年・空海・高野山に真言宗を開く
★844年~897年に生きた、清和天皇の異母兄・惟喬親王を業祖とする山伏木地師が各地山々を漂泊する
現在奥能登に点在する神社仏閣は、この3名に関わるものが多いです。この3つの宗派が絡み合って神社仏閣となったみたいです
♦️珠洲市宝立町・法住寺
810~824までに空海が創健
とあります
空海はここに(下に写真あり)着船しました。それより遥か昔、同場所に渡来神・加志波良比古神が降臨していたのです
つまり先に加志波良比古神の神領があり、そこへ空海が入り、その神領に法住寺を建立したのです
比叡山延暦寺も、天台山守護神である日吉大神の神領に建立されたそうですよ
そして時代と共に神領を寺領にし、神社の影が薄くなりました
密教が国民に浸透したのは、原始信仰の神の存在を信じる人々に、神から新たに仏というものに置き換えさせるため、本地垂迹論の神は仮にこの世に現れ、神の本体は仏であるとしたからです
■法住寺の鎮守社は白山神社であることから、天台宗比叡山延暦寺末の白山修験団とも深い関わりがあったようです。他の真言宗のお寺はみな室町までは天台宗。戦国の兵火にかかりいったん廃絶し、真言宗として再興されました。
■仏教は改宗しますが、寺を鎮守する神は戦国以前に勧請してきた神様のままです。仏教のように簡単には変えれないという精神性が神道にありそうです
♦️真言宗・不動寺は、比叡山延暦寺鎮守・近江坂本山王権現(日吉神社)を勧請しました
不動寺開創は、村々を巡行した修験者、漂泊の聖(木地師)が関与しています。それはこの地域の寺々と結びついた神社に、山王社、白山社、火宮、熊野社等修験系神社が多いことで示されています。中でも山王社や白山社が多いのは、修験者が天台宗だった加賀白山系が多かったからです