■国内政治が安定したので、1871年11月、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らはアメリカ、ヨーロッパの視察旅行に出かけた。一行は日本の近代化が遅れていることを痛感し帰国
留守を預かっていた西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣らの間で、李氏朝鮮を討とうとする考えが起こった。鎖国していた朝鮮を武力を用いてまで開国させようとしたのだ
熱心な征韓論者の西郷隆盛が朝鮮へ渡ることが決まって間もなく、岩倉一行は帰国した
岩倉、大久保らは、征韓論そのものには反対ではなかったが、今は国内の政治を整える方が先だとして西郷らに反対。西郷は譲らず両派はまっこうから対立した。結局征韓論派は退き政府の実権は大久保が握ることになった
■明治政府ははっきりしない領土の範囲を、関係国との間で決定することが必要だった
★北方領土については、1854年の日露和親条約で、樺太は両国の雑居地となり、千島列島はエトロフ、ウルップの両島間を国境と決めていたが、争いが絶えず1875年に千島列島、樺太交換条約を結んで、樺太をロシア領とし、千島列島を日本の領土とした
★琉球は、薩摩藩と清国両方に従っていたが、廃藩置県のとき、鹿児島県にくりいれた。清はこれを認めず、琉球王・尚泰も日本に抵抗したので、軍事力で押さえ、1879年沖縄県として日本領にした
★小笠原群島は、16世紀に日本人が発見した島で、アメリカと領有を争っていたが、1876年、日本の主権が承認された