明治天皇
■1852・11・3~1912・7・30
天皇在位(1867・1・30~1912)
孝明天皇第二皇子
生みの母・中山慶子(中山邸で出生)
■1856年宮中に転居・4歳
准皇后九条さんの実子とされる
■1864・7月19日・12歳
発泡しながら近づいてくる長州藩兵を、会津・桑名・薩摩連合軍が撃退
翌日夜、宮中に不審者300人以上侵入のパニックの中、親王が卒倒
長州藩に内通した嫌疑で外祖父中山に処分
■1867年1月30日(14歳)
孝明天皇崩御
14歳で皇位につく
■1868年12月28日(15歳)
一条好子を皇后に
4月
五ヶ条の御誓文
(これは新政府の基本方針)
♦️明治天皇すりかえ説
■土佐藩出身・田中光顕の告白
明治天皇は後醍醐天皇の11番目の皇子・満良親王の子孫。長州を治めた毛利氏により守られた【1850年生まれ・大室寅之祐】
薩長同盟が成功した根本理由は、桂小五郎が「南朝の御正系をお立てして王政復古をする」を西郷隆盛に打ち明けたところ、西郷隆盛が南朝の忠臣・菊地氏の子孫であったことから賛同した
■二人の天皇が並ぶ南北朝時代
大室寅之祐の父は海賊の作蔵
1
作蔵は吉左衛門の養子となる
1846年20歳となった作蔵は、寺の娘スヘと結婚(スヘは浄土真宗大谷家の血筋)
1850年長男・虎吉生まれる
2
虎吉が4歳の時両親は離縁し、母スヘに引き取られる
母スヘは大室弥兵衛と再婚
3
1855年弥兵衛とスヘの間に寅之助が生まれるが一歳で早世。弥兵衛、子がないまま死去
大室家の血筋断絶になるので、寅吉は早世した異父弟・寅之助になりすます
4
高杉晋作が組織した奇兵隊に参加したことで寅之助になりすました虎吉が南朝末裔として注目
5
寅之助は伊藤博文とフルベッチの所に生き写真にうつる
即位後の明治天皇に似ている
えー背乗りやん
それも二重の