■昭和6年
★6月6日
北支那駐屯軍として天津付近に派遣される第9師団・歩兵第7連隊・第10中隊が、午後8時30分中隊長・竹内大尉の指揮で出発
★9月8日
第9師団の【徹底的な国防強調宣伝】に対し、一部政界で非難があがる
第9師団が飛行機上から国防強調宣伝したビラを散布したことが、時節柄極端な宣伝方法と非難
第9師団司令部の名前を記入した宣伝ビラにしても、満州における権益をつかみとろうとする作が極端であるとし、外務省からも第9師団の国防強調方法に相当注意している
とはいえ第9師団はこうした非難を聞き流し、国防強調に向かって徹底的運動を展開する方針
新たな宣伝手段としてマイクを通じて師団幹部が国防強調の叫び声をあげた
★11月9日
午前1時
天津における日支軍衝突の激戦において、天津街境の租界旭街で、警備中の第9師団天津駐屯部隊歩兵7連隊兵2人が名誉の戦死を遂げた
※7連隊内第10中隊曹長
宮本武明
羽咋郡
※同一等卒
沢田政治
石川郡
★12月
金沢放送局が歩兵第7連隊本部の、国防強調に関する講演放送を中断
対支那強硬の空気が一般世論となって濃厚に動きつつある折から、市民の中には軍部側に同情する者多く、金沢放送局に対し国防強調の叫びを邪魔したと非難が寄せられる
★12月25日
第9師団司令部は全管下軍人あてに訓令
18日奉天で支那兵の満鉄線破壊に対し、駐満日本帝国軍隊が戦闘行為に出た件、及びその後の日支戦闘はすでに新聞により報道された通りである
今後の成り行きによっては何時出動することになるやも知れず、その覚悟が必要
なお昨今、国防思想普及に従事する折から、この日支衝突の機会を軍部の計画によるかのような疑念を一般国民に抱かせないよう、支那の非を一般に知らしめつつ、血気はやることなく冷静な態度をとろう