るるの日記

なんでも書きます

大きな嘘で人々を感動させ信用させたヒトラー

2021-06-17 16:04:29 | 日記
■ナチス(国民社会主義ドイツ労働党)は、復員軍人の伍長だったヒトラーが入党した1919年には、ヒトラーが55人目の党員という、小さな党だった

ナチスを率いる地位についたヒトラーは「民族自決の考え方によって、ドイツ人全部が1つになって、大ドイツ帝国を作ろう」「ドイツが食べていけるように領土を要求する」と主張した
また、ドイツ民族の優れていることを誇り、ユダヤ人を排斥した

一方で、戦後の混乱ですっかり落ちぶれてしまった、中産階級や労働者を惹き付ける要求を掲げて、支持をひろげた
ドイツ経済が世界恐慌で、大打撃を受けて苦しむようになったころ、ナチスはものすごい勢いでのびた

■1932年のドイツでは、仕事にありつけるのは3人に1人。不景気のしわ寄せを受けて、国民は不安と不満にかられていた

こうした中で、共産党がのびてきた。これを恐れた大資本家たちは、大金を出して、ナチスを助けた。軍部もナチスに期待をかけるようになった
こうしてナチスは、総選挙ごとに議席を増やし、1932年、第一党になり、翌年ついにヒトラー内閣ができた

■ヒトラーは国会に相談しないで法律を作ることを国会に認めさせて、ナチス以外の一切の政党を解散させた
1934年、ヒトラーは首相と大統領を兼ねた総統となって、独裁的な権力をふるうようになった

ヒトラーは、失業者を軍需産業や土木工事の仕事につけて、失業者を少なくした。一方では、言論の自由や基本的人権を厳しく抑えた。ドイツはナチス一色に塗りつぶされていった

1933年、国際連盟を脱退
1935年、ベルサイユ条約を破り捨てて、再軍備することを宣言した

■ヒトラーが書いた【わが闘争】
「大衆は女性的である。彼らを感動させ、信じこませるには、小さな嘘よりも、大きな嘘の方が効果的である」
と述べている。この言葉は当時、苦しい生活にあえいでいた国民の不安を、ヒトラーがどのように上手く操り、ナチス独裁へ導いていったかをよく示している

また、日本人に対して「彼らは真似は上手いが、創造力が乏しい」と書いている



ナチスの旗
赤→社会的理念
白→国家主義
カギ十字→アーリア民族(ゲルマン民族)の勝利のために戦う使命

今私たちが、恐れなければならないただ1つのことは、恐れることそのものです

2021-06-17 15:23:03 | 日記
「偉大なわが国は、必ず繁栄します。。今私たちが、恐れなければならないただ1つのことは、恐れることそのものです。。私は責任と決意を持って、危機を乗り切る方法を実行します」

これは1933年、フランクリン=ルーズベルトが大統領になった時の演説である

ルーズベルトは、ニューディール(新規まきなおし)と呼ばれるやり方で新しい政策を繰り広げた

■テネシー川流域開発公社による開発事業
これは多くのダム建設を中心とした事業で、たくさんの物資と多くの働く人を必要とし、失業者を救った

■生産を押さえて余りすぎないようにしたり、人々の賃金を上げて、物を買う力をつくようにする法律を作った

■農作物が値下がりしすぎないよう保護して、農村でも物を買う力の回復をはかった

♦️こうした政策は、これまでの自由主義による資本主義経済に、政府の指導が必要になったという、大きな変化を意味する

世界恐慌・永遠の繁栄を誇っていたアメリカにも問題あり

2021-06-17 15:05:32 | 日記
■1929年10月24日(木)
第一次世界大戦後、世界経済の中心になっていたニューヨークのウォール街で、株式の値段が大暴落した。ほとんどの株の値段が半分以下に下がり、多くの銀行や会社が倒産し、経済界は大混乱に陥った

生産物が余りすぎているところに、何かのきっかけで、急に物の値段が下がり経済界が混乱することを恐慌というが、それが起きた

■アメリカにも問題がひそんでいた
★工業
アメリカの工業生産力は高かったが、ヨーロッパの国々も戦争の痛手から回復して、生産力を高めていたし、ソ連のように独自に国家建設を行う国もでき、世界市場は狭くなった

★農業
世界的な豊作で作物が余りすぎて、値段が大きく下がった。そのうえ肥料や農具などの工業製品は、全国のわずか6%の大会社が、全生産額の68%を押さえていたので、その圧力で値段は下がらず、収入の減った農民の暮らしは、非常に苦しくなった

★海外でも、国内でも物が売れなくなり、働く人を減らしたり、倒産する会社が増加し、1932年には全人口の10%以上にあたる、1200万人もの失業者が出た

■アメリカの恐慌は、世界各国に大きな影響を与えた。世界の工業生産は恐慌前の65%に落ち、貿易額や株価もがた落ちし、失業者は3500万人以上

★ドイツはアメリカの援助金で産業を建て直しながら、フランス、イギリスなどに賠償金を払っていたし、フランス、イギリスはその賠償金で戦時中にアメリカから借りたお金を返していた
♦️恐慌の不安からアメリカがドイツに出していたお金を引き上げると、各国の経済の動きは混乱し、世界恐慌となった

成金

2021-06-17 14:05:03 | 日記
第一次世界大戦中に、日本に広く行き渡った言葉「成金」。将棋の駒の「歩」は、敵の陣地に入るとたちまち「金将」に成ることができ、これにたとえて、急に大金持ちになった人を成金といった

ぼろ儲けだったのは、造船、海運だった。30歳の青年内田信也は「戦争勃発❗️」の号外で4500トンの汽船1せきを借りて、船会社を始めた。翌翌年には16せきの船を持ち、資本を出した人には6倍もの配当を出すほどになった。100畳敷の大広間を持つ大邸宅を作って話題になった

華やかな好景気は、戦争によるもので、本当の実力ではない。戦争が終わり各国が平和産業に力を入れるようになると、日本の景気はしぼんだ

ドイツのマルク価値は1兆分の1に下がった

2021-06-17 13:48:16 | 日記
第一次世界大戦で破れたドイツは、議会中心の政治の仕組みをとることになった。1919年の選挙によってできた新しい議会は、ワイマールで開かれ、世界で1番民主的なワイマール憲法が決まった

ドイツを建て直すうえで大きな問題は、賠償金だった。賠償金は全額で1320億マルクで、毎年20億マルクと輸出額の26%を支払わねばならない。1320億マルクという額は当時の日本の1年間の国家予算・16億円を41年間支払い続けてやっと終わる額だ

ドイツは次々と紙幣を発行せざるをえず
1914年7月に比べ1923年にはマルクの価値は1兆分の1にまで低下し、人々は給料を手にすると、荷車で運び、急いで食料の買いだめに走った。一袋のジャガイモを買うためにそれより重い紙幣が必要だったのだ