🐟石川県の動き
■明治28年12月
石川県七尾港を軍港に決定
■明治29年
軍備拡張、師団増設のため
金沢城内二の丸跡を司令部とする、第9師団設置
初代師団長・大島久尚中将
[管区]
石川・富山・福井・岐阜・愛知
🇯🇵日本の動き
■明治37年2月
4日
ロシアとの交渉打ち切り
開戦決議
8日
陸軍臨時派遣隊が仁川に上陸開始
連合艦隊が旅順港外のロシア船隊を攻撃
9日
仁川のロシア軍艦2艘を撃破
♦️10日
ロシアに宣戦布告
24日
第一回旅順口閉塞作戦
■明治37年4月
1日
非常特別税法公布
■明治37年5月
1日
第一軍、九連城を占拠
5日
第二軍、遼東半島上陸開始
31日
大本営が旅順攻撃のため第三軍編成を決定。司令官・乃木希典
■明治37年8月
10日
黄海でロシアと連合艦隊が海戦
ロシア主力は敗走
19日~24日
日本軍第三軍が第一回旅順攻撃失敗
日本軍死傷者15860人
28日
第一、二、四軍が遼陽に先進開始
■明治37年9月
4日
遼陽占領
日本軍死傷者23533人
■明治37年10月
10日
第一、二、四軍が沙河付近でロシア軍主力を攻撃
20日
弾薬不足で攻撃中止
沙河を挟んで両軍対峙
死傷者20497人
26日
日本軍第三軍、旅順第二回総攻撃失敗
■明治37年11月
26日
日本軍第三軍、旅順第三回総攻撃
■明治37年12月
5日
203高地占領
🐟石川県の動き
■明治37年1月18日
知事は【愛国義会設立構想】を発足
〈目的〉
※軍人後援のための軍資供給
※従軍家族の扶助
※出征している兵士の苦労に対し、品物を贈って慰める
■明治37年2月15日
知事は日露開戦にあたって県民に、時局認識と自覚を促すため次の告論を発した
【露国に対し宣戦の詔勅が発せられた。日本帝国の急務は軍資の充実にある。国民の奉公は命を奉じて従軍することであるが、資金を供して国に捧げることも奉公の一つである
政府は軍資募集のため債権を発行しており国民は競ってこれに応じ挙国奮励の盛んなことを発揚しなければならない
従軍者家族については、政府は特に法律を定めて扶助に務めるはずであるが、それ以上に家族の者は今以上に生業に励み、愛和し、共助に務めなければならない
それこそ、従軍者が後顧の憂いなく、一意に奮い立って軍に殉じることにつながる
一時の敵がい心に駈られて、在留外国人に対し軽挙妄動に走ってはならない。これこそ事態を見誤り国民の本分を損なう行為である】