■応仁の乱が終わった
■東北地方
関東地方
朝廷、将軍、管領の権威は失われた
京都で戦っていた守護大名の留守中に、守護大名の領国では、国人、地侍、農村の名主たちが力をつけてきた。下剋上は激しくなっていった
■これまで将軍に任命されて領国を支配した守護大名に対し、守護大名を滅ぼし、自分の力で領国を手に入れた戦国大名が現れてきた
戦国大名は自分の領地を守り、また広げようと戦ったので、応仁の乱から約100年間、戦乱が絶えなかった
この時代が戦国時代
強い者だけが勝ち残っていく
戦国大名の中には、その出身もはっきりしない者がいた
斉藤道三、北条早雲
■東北地方
伊達氏
関東地方
北条氏
中部地方
越後の上杉謙信
甲斐の武田信玄
駿河の今川氏
尾張の織田氏
美濃の斉藤氏
越前の朝倉氏
中国地方
大内氏から毛利氏
四国地方
長宗我部氏
九州地方
島津氏
大友氏
■戦国大名は幕府の統制を受けずに独立し、その支配権の及ぶ範囲を領国とした。それを家臣に分け与えたが、土地と領民は大名のものだった
だから領国の内にも敵がいた
領国内で抵抗(一揆)していたのは、地侍などに指導された農民だった。戦国大名は農民の強い抵抗に悩んだ
■戦国大名は領国に法律を作った。分国法という
家臣たちの組織、後継ぎ、結婚に強い統制を加え、犯罪には厳しい刑罰が決められた
はりつけ、火あぶり、のこぎりひき、車ざきなど。しかも1人が法をおかすと、一族や村全体が罪になり責任をとらされた
■下剋上は将軍家においても例外ではない
9代将軍義尚から最後の将軍義昭まで、京都で安らかに死ねた将軍は1人もいない。京都を追われ山奥に逃げこんだ将軍が何人もいた
幕府の実権は、管領・細川氏の手に奪われ、将軍は細川氏の意のままに動かされる操り人形
細川氏も、家来の三好長慶に実権を握られ、三好長慶もまた、家来の松永久秀に実権を奪われ、13代将軍義輝は松永久秀に殺された
しかし松永久秀は将軍になろうとは考えていなかった。名前だけの将軍でも彼らにとっては必要だった