るるの日記

なんでも書きます

情念の本来の姿は怒り・愛、喜び、悲しみは怒りの転化した情念

2021-06-23 13:25:53 | 日記
♦️知性化された自然の情念とは

それは怒り💢😠🔥の情念がベースとなり、怒り以上に知性化された情念である


■なぜ怒りかというと、それが受苦(パッション)としての情念の本来の姿であるからだ
怒りは暴発させると、怒りの爆発になる。ケンカになり、殺人になり、戦争になる
それを精神によって知性化すると、怒りは別の情念に変化される。喜び、愛、悲しみ、憎しみといった情念になる
いずれも、その裏には怒りの情念がベースにある

★喜び→怒りを我慢することから生まれる情念

★悲しみ→怒りを静めることから生まれる情念

★愛→自分の大事なものを奪おうとする怒り、結合を阻むものへの怒りから生まれる防御と結合の情念

★憎しみ→怒りが防御と結合を断念することによって、分離に向かって動く情念

■情念は元来不安定なもので、極端が極端に通じる。喜びも愛もいきすぎると、反対の悲しみや憎しみに転化する。だから喜びだ、愛だといっても、喜びすぎたりラブラブ💓😍💓になり過ぎると、結果ろくなことにならない。ほどほどに中庸が大事

情念をいい形で長続きさせるには、十分な注意が必要。それだけ強い精神力が必要である


情念の有効利用は慎重に

2021-06-23 12:21:36 | 日記
精神で知性化された情念は
その精神の働き方によって
2つに分かれる

■自然の情念
身体(生命体)との関わりで、自然に内から生まれ、情念が知性化された

■非自然の情念
身体(生命体)と無関係に、情念が知性化された(妄想・幻想)

★情念は欲望にそそのかされるが、その場合精神がしっかりしていないと、精神は欲望負けて情念をうまく知性化できない。そうゆうことから生まれる

★情念の身体離れであり、身体離れした非自然の情念を
ミュトスのパトスという
神話のパトスということ

ミュトスのパトスは
創造につながる
文化につながる
(文化は共通情念の産物)

■身体離れは人間の特性
その方がよい場合もあるが
時と場合による

行きすぎるとマイナスになり危険

古代の神政政治
シャーマニズム
大日本帝国幻想
神国思想
聖戦幻想
イデオロギー
なんとか主義
なんとか時代
なんとか社会
陰謀論

■情念の有効利用については慎重を要する

古代ギリシャ人は
情念を【神の狂気】と恐れたが
いい情念は創造につながるということで、逆にはやしたてた

★デュオニュソス的狂気
密教的、祭儀的狂気

★アポロン的狂気
預言的狂気

★ムーサ的狂気
詩的狂気

★アフロディーテ的狂気
エロス的狂気

見境なしに狂気は創造につながるということで、狂気をお祭り騒ぎのようにはやしたてると、ろくなことにならない





精神の力を知らなくて、情念に駆り立てられないように、何かに没頭していた

2021-06-23 11:41:06 | 日記
昔の人は、情念を恐ろしがり、その激動にひたすら恐怖した
古代ギリシャ人は、情念を「神の狂気」とみなし、人間の手に負えぬものとした。ギリシャ悲劇のテーマの1つは、情念によって引きおこされる人間の悲劇、激情のパトスがテーマである

世に哲学などといった形而上の観念をもてあそぶ小難しい学問が生れたのも、情念と関係ある
何も考えないでぼんやりしていると、情念に駆り立てられる。情念に駆り立てられないためには、頭の中で何か小難しいことを考えていた方がいいということから、小難しい学問が生まれた。情念との闘いを避けるために学問に逃げ込もうとした

当時の学者は書斎に閉じこもらずに、町や山を歩き回りながら思考し、学問した。これも情念と関係がある。家の中にいると情念に駆り立てられるが、動いていると情念が静められる。情念に負けないために、知の世界と動の世界に逃げ込んだ

【人間は理性の動物である】というアリストテレスの言葉の意味がわかる。人間は情念にきわめて弱いものであることを言い表している。そう解釈するカギは「動物」という言葉にある

人間は動物。放っておいたら、情念にまかせて何をやらかすかわからない。それを理性の力によって辛うじて抑えているのが人間。だから【理性の動物】である



精神が主役なら情念を情熱に変える・煩悩即菩提

2021-06-23 11:11:17 | 日記
精神は、荒々しい情念の【制御】と【利用】をしている

情念は盲目で、方向性なく、ただうごめくだけのもの。精神はそれをエネルギーとして有効利用するために、情念に目をもたせ、方向性を与え、前向きに動く情熱へ転化する
これを情念の知性化という

創造につながる情念
猛然なやる気・勇気につながる情念
パッションという言葉が「受苦」、「情熱」という全く反対の意味を持つのは、このためである

苦しみか?情熱か?
そのカギを握るのが精神
そのためには、精神が強くなければ、気が確かでなければならない
精神は主役としてしっかりしなければならない

情動(動物的生命の激しいうごめき)→情念(わだかまり)→激情型感情(破壊行為)

2021-06-23 10:50:17 | 日記
♦️感受態
感受態は激しい激情の世界
その根源は情動

♦️情動
情動は人間の生命体の下層に存在している動物的生命の、激しいうごめき。アドレナリンともいう

♦️情動から情念へ
情動は激しくなると上に向かって、身体の外に向かって吐け口を求めようとする。だが上方には理性や感性が頑張って情動を吐かせまいとするため、中間のところで、わだかまる
この出口がふさがれた形でわだかまっている情動を【情念】という

情動→生命のストレートな衝動
情念→きわめて屈折した欲求不満度の高い情動
情念をパッションとよぶのはこのためである。パッションとは苦しみを我慢することだ

♦️情念から激情型感情
情念が煮えたきり、体内に駆け巡り、体内で内部活動を起こし、【激情型感情】を作り出す

情念の働きを成り行き任せにしておくと、その感情もきわめて激しくなり、そのため身体そのものが危険にさらされることにもなりかねない。そうならないためには、情念を制御しなければならない

そこで精神の出番になる