パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

10月になると思い出す「あの日々」

2024-10-18 12:46:17 | 高齢の親
 10月になると思い出す。
あれは1年前・・・10月下旬。

義父が自宅で転倒し、起き上がれなくなり、
翌日義妹が救急車を呼んで、そのまま入院。
約3ヶ月の入院生活の後、翌年1月下旬にサ高住へ。
(サ高住で約3か月過ごした後、現在は自宅で過ごしています)


その間、
統合失調症長年の引き籠もり生活による歩行困難
糖尿病糖尿病による視力低下
そして軽度の認知症を抱えた義母が、我が家にやってきました。


 このままずっと同居になるだろう・・・と覚悟してのスタートでしたが、
約2ヶ月後、次男がコロナに感染した事がきっかけとなり、
「避難」という名目で義母自身の生家へ帰っていきました。
(義母の姉と弟が「こっちで暮しても良いよ」と言ってくれていたらしい)

統合失調だったので、18年間、誰とも上手く関われず、
実の姉弟とも疎遠だった義母ですが、
久しぶりに同じ釜の飯を食べ、昔話などで盛り上がったのでしょう。
姉も弟も仕事を引退してずっと家にいますので、相手もしてくれますし、
「気の毒な私」という体でのスタートでしたので、姉弟に大事にされ、
約3週間、義母はご機嫌で過していた様です。

結局、Xmas~年末年始~と楽しい3週間を生家にて過し、
「おじいさんの退院を待って、おじいさんと施設へ・・・」という流れで、
サ高住へ入居しました。
(本人の意思もありましたが、実子の意向でもあったと思われる)
 
 我が家でも、ま~~~色々ありましたが、
サ高住でも、最初は茶飲み友だち(?)ができ楽しく過ごしていたそうですが、
その内被害妄想が炸裂し、「みんなに嫌われている」「歓迎されていない」
「私は何でも出来る」「どうしてここに居ないといけないんだ」
「実家に帰りたい」・・・と言い出し、入所約2ヶ月でサ高住退所。
ウキウキで生家へ帰ったそうです。

 が・・・
それから1ヶ月もしない内に、姉と喧嘩をした様で、
追出されたのか、啖呵を切って出て来たのか、
一足先に自宅での生活を始めていた「おじいさんのいる自宅」へお引越。

 そして、現在に至る~。


 今は、義妹から私への連絡はありません。
主人と義妹と私のグループLINEも止まったまま。
もの凄く、ホッとしている私。

私を介護に引き込むから・・・と言うより、
私に「親の世話」をやらせようとするから、
介護をする上での「私の願いと狙い」を
LINEで提示したのがきっかけかもしれません。

・要介護者には、社会との関わりを持って欲しい。
・要介護者にとって、開かれた人生であって欲しい。
・実子の2人には、親との最期の時間や関わりを、悔いの無い物にして欲しい。
・要介護者の尊厳と介護者の尊厳が、共に守られる様な関係に。
・介護サービスをになって下さる方々には、家族に対し
 「要介護者の気になる様子」や「家族が判断しかねている状況が伺われる場合」は、
 助言やジャッジを頂けるようお願いしたい。

要は、
「私の考えはこうですよ~」
「あなた(義妹)の采配ではなく、専門家と連携しながらやっていきますからね~」
「介護者(私)にも人生があるので、それも考えてよね~」
「包括と相談しながら、どんどん決めていくからね~」
と、私の方針を示したということ。

 義妹は、「長男嫁は夫の親を介護するべき」という理念があり、
自分のイメージ通りに動くよう、こちらに指令を降ろして来る人なんですよね・・・。
それがかなり押しつけがましく、独りよがりな考えが多いので、
介護より、義妹との関わりが負担で。

こうして、私に一切連絡をしてこなくなったということは、
「(私の考えを)理解して貰えた」というより
「もういいわ(怒&涙)」という事なんでしょうね。

 だけど、
そもそも私の親ではないですし、
愛も恩も受けていませんし、
思えば義母とは、挨拶以外ほぼ会話すらしたことが無いですし、
「いやいや、それは病気だったから~」と言うのであれば、
「そんな病気の人を、私に任せるのはどうなの?」・・・と思いますし、
自分の親は、自分が好きなよう、自分が納得するよう、看たら良いんじゃない?・・・と。


 でもまぁ、いつかまた来るんでしょうね・・・「その時」が。
「お兄ちゃん、何とかして~」(お兄ちゃんほぼやらないし)
「〇〇してやって~」
「XXしてやって~」
「私は嫁いだ身だから、介護はしなくて良いの~」
「身内は介護は無理~」
「介護は他人(私を指す)だから出来る事~」
「私? 無理無理無理~」
「え~~~~ん(泣)」

   しらんわ


 同居で義親を介護(今は介助)している人の話を聞くと、
「随分助けて貰ったから、やってあげたいし、やってあげなくちゃと思うけど、
 私もソレが無かったら無理だと思う~。
 遠方に住む義姉も、『いつもごめんね。有難うね』とは言ってくれるけど、
 『あれしろこれしろ』なんて言わない言わない。
 結局、言い方だよね~。 言葉一つで全然違うもん。」・・・と。

嫁や婿の介護を望むなら、大事にしてその様に関わって来ないとね・・・。
「嫁の世話にはならん!」と思っていても、
いざとなったら誰かの手を借りないといけないのだし、
周りの人は誰であれ大事にしておかないと。
突然、心を寄せてくれるなんて無いからね。

   息子が所帯を持ったら、お嫁さんを大事にしなくちゃ・・・だわ
   お嫁さんだけでなく、息子の友達も
   関わる人全て


10月が来ると思い出す
そして「その時」はまたあるだろうと思い、気が重くなる。


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