郷土教育3月号に、都内の小学校に勤務する教員の「オリ・パラ教育の強制はマスコット投票だけではない」という報告、「元オリ・パラの選手の話や海外から来た人の講演を聞かされる。
全クラス、マスコット投票は済んだのに、また違うマスコット投票のポスターが校内にはられる。
オリ・パラはなんでこんなに優遇されるのか。
子どもたちに学んでほしい、考えてもらいたいことは世の中にいっぱいあるのに」という現役教員の悲鳴。
続いて郷土教育4月号で、元教員からの「『もういい加減にしてよ』という教員たちの疲れた顔が浮かぶ」という感想がのっている。
「『ちょっとの協力じゃないか』と世間の人はいうかもしれないけど、そのちょっとが次々やって来て振りまわされる。教職員組合は力を失い、上からの教委、校長のムリを押し返えせなくなった。その上、恐るべきことに、校長に現場教員の人事権は握られて、給与も異動も校長の掌の内、教員は逆らえない。官邸に人事権を握られた上級官僚が忖度するのと同じだ」
と述べている。
つけたして、元教員の私も言いたいです。
多分各学級で、教師なり、学級委員なり、日直なりが
「ア・イ・ウどれがいいですか?」
どうでもいいよという子もいるでしょうが、
「アがいいと思う人」「イがいいと思う人」「ウがいい・・・」
と挙手してもらって、
「一番数が多かったら、3年1組はイになりました」
と多数決で決めるのでしょう。
本来なら、それぞれいいと思う根拠を言って、話し合い、他の子の意見を聞きあい、気付かなかった意見に納得したりというのが、クラスで話し合う意味でしょう。
「民主主義とは少数意見を大事にすること」だと思って、教員をやってきましたが、どのマスコットがいいかは,好き嫌いの問題、フィーリングの問題、理由なんてないです。
アがいいと思っても、イがいいと思った子が多かったから、自分の意見は却下、我慢させられる。
なんか多数決の論理に従うことを教え込まれているようで、民主主義に反する、不愉快な後味の悪さを感じます。
-Ka.M-
全クラス、マスコット投票は済んだのに、また違うマスコット投票のポスターが校内にはられる。
オリ・パラはなんでこんなに優遇されるのか。
子どもたちに学んでほしい、考えてもらいたいことは世の中にいっぱいあるのに」という現役教員の悲鳴。
続いて郷土教育4月号で、元教員からの「『もういい加減にしてよ』という教員たちの疲れた顔が浮かぶ」という感想がのっている。
「『ちょっとの協力じゃないか』と世間の人はいうかもしれないけど、そのちょっとが次々やって来て振りまわされる。教職員組合は力を失い、上からの教委、校長のムリを押し返えせなくなった。その上、恐るべきことに、校長に現場教員の人事権は握られて、給与も異動も校長の掌の内、教員は逆らえない。官邸に人事権を握られた上級官僚が忖度するのと同じだ」
と述べている。
つけたして、元教員の私も言いたいです。
多分各学級で、教師なり、学級委員なり、日直なりが
「ア・イ・ウどれがいいですか?」
どうでもいいよという子もいるでしょうが、
「アがいいと思う人」「イがいいと思う人」「ウがいい・・・」
と挙手してもらって、
「一番数が多かったら、3年1組はイになりました」
と多数決で決めるのでしょう。
本来なら、それぞれいいと思う根拠を言って、話し合い、他の子の意見を聞きあい、気付かなかった意見に納得したりというのが、クラスで話し合う意味でしょう。
「民主主義とは少数意見を大事にすること」だと思って、教員をやってきましたが、どのマスコットがいいかは,好き嫌いの問題、フィーリングの問題、理由なんてないです。
アがいいと思っても、イがいいと思った子が多かったから、自分の意見は却下、我慢させられる。
なんか多数決の論理に従うことを教え込まれているようで、民主主義に反する、不愉快な後味の悪さを感じます。
-Ka.M-