郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

海沼実と音羽ゆりかご会 (小石川・子ども風土記ー18)

2019年06月02日 | 機関誌

  池袋のタウン誌「びいーゆ」一九八七年九月号の「遊歩道」欄に高瀬西帆さんという方が「音羽ゆりかご会」という文を掲載されていましたのでその一部を紹介します。

 

「音羽ゆりかご会」は昭和八年に作曲家・海沼実が創設した。

海沼実は、昭和七年、児童合唱団の創設を志し、同郷(長野県)の作曲家・草川信をたよって上京、当時、草川信が護国寺によく来ていたことから、境内内に有った音羽幼稚園で園児を対象にして歌の指導を始めた。

 翌年、草川信の援助と護国寺住職・佐々木教純師の好意で同所に「音羽練習所」を開設、北原白秋作詞、草川信作曲の童謡「ゆりかごの歌」を会歌としたことから、北原白秋が「音羽ゆりかご会」と名づけた。

 

 以後、音羽ゆりかご会は、「赤い鳥」の本格的日本童謡の流れをくむ唯一の童謡児童合唱団として活躍。

また海沼実は数々の童謡を作曲して、日本の童謡の隆盛に寄与した・・・。

 

 護国寺の山門を入った右手に、海沼実作詞作曲の「からすの赤ちゃん」の歌碑が建っている。

 

 音羽で生まれた音羽ゆりかご会は 戦時下の空襲の激しい頃、JOAK(現NHK)」の「戦線へ送る夕」などで、国内のみならず海外にまで明るい元気な歌声を送っていたことから、放送に支障をきたさぬようにと、事務所を放送局に近い芝の愛宕山に移転した。

 

 戦後も、敗戦直後から食糧難などを克服しながら活躍、昭和二十二年にはじまったNHKの放送劇「鐘の鳴る丘》では三年半「とんがり帽子」を歌い続けた。・・・


-中村 光夫-


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