11月7日はロシア革命100年の日だそうですが、私は数年前に富山の魚津漁港に行き「米騒動記念碑」を見たことを思い出しました。
日本は、ロシア革命を妨害しようとしてシベリア出兵を計画したため、コメの値段が暴騰し、それに抗議した漁師のおかみさんたちが抗議行動を起こしたのです。
その行動は日本各地に広がり、ついに日本初の平民宰相・原敬内閣を誕生させたそうですが、この動きは広く世界史的視点で見ると、日本人民がロシア革命を支援したということだったともいえるでしょう。
しかしロシア革命政府は、この各国からの攻撃に対して「民主集中制」で対応して強力な軍隊を作り抵抗して、ようやく列強の侵略を防ぐことに成功しましたが、この専制政治がその後も継続されスターリンに依る独裁政治につながったのでしょう・・・。
そして「共産主義」が本来目指した「開かれた民主主義体制」とは全く異なる、今の「中央集権・社会主義国家」が続いてしまったのだと思います・・・。
ロシア革命100年の日に当たり、あのシベリア出兵と、それに対する米騒動の歴史的意味を思い出させられましたがいかがでしょうか・・・。
-M.N-
日本は、ロシア革命を妨害しようとしてシベリア出兵を計画したため、コメの値段が暴騰し、それに抗議した漁師のおかみさんたちが抗議行動を起こしたのです。
その行動は日本各地に広がり、ついに日本初の平民宰相・原敬内閣を誕生させたそうですが、この動きは広く世界史的視点で見ると、日本人民がロシア革命を支援したということだったともいえるでしょう。
しかしロシア革命政府は、この各国からの攻撃に対して「民主集中制」で対応して強力な軍隊を作り抵抗して、ようやく列強の侵略を防ぐことに成功しましたが、この専制政治がその後も継続されスターリンに依る独裁政治につながったのでしょう・・・。
そして「共産主義」が本来目指した「開かれた民主主義体制」とは全く異なる、今の「中央集権・社会主義国家」が続いてしまったのだと思います・・・。
ロシア革命100年の日に当たり、あのシベリア出兵と、それに対する米騒動の歴史的意味を思い出させられましたがいかがでしょうか・・・。
-M.N-