小さい頃はじいさんばあさんと同居してたので、おじゅっさん(住職さん)が来て、読経をするときには、ばあさんの後ろに座って、一緒に手を合わせていたものです。
岩おこしなど、なんらかのお菓子をもらえるから、というのが理由の一つではあったのですが、それでも、礼讃偈(らいさんげ)や佛説阿弥陀経などは、幼い子どもに特有の記憶力で諳んじていたものでした。
長じてからは、日本人らしい無神論者(外国人から見た場合)っぽい意識で、特に宗教を意識することなく過ごしていますが、それでも、先祖や亡くなった家族を敬い、祀る気持ちはあります。
遠い世代の親族には、戦没者、戦中戦後に病気や怪我で亡くなった方も居られますし、小さな頃には、繁華街で戦傷者の社会鍋にお金を入れたこともあります。
そういった、ごく普通の気持ちに対し、戦後の歪んだ教育、世論などが、戦前戦中の日本の体制を全否定する誘導方針から、無辜の戦没者をも含む慰霊施設に対し欺瞞に満ちた糾弾を行ってきました。その尻馬に乗るように、極東軍事裁判の当事者ですらなかった中共や、さらには同じ敗戦国であり戦犯とされている人すらいる韓国が、日本のエセ左翼の尻馬に乗る中共の更にその尻にへばり付くようにして、同じように糾弾しているのは、哀れみすら感じるような滑稽さだと感じます。
敢えて些事に囚われた見方をすれば、戦犯合祀の問題や政教分離の問題はあるかもしれませんが、今の日本という国、国体は、WW2を含む歴史の上に建つものですから、国民の代表を任ずる人が、戦没者の慰霊に赴くことは、個人的な宗教観からも、なんらおかしいことでは無いように思いますし、サンフランシスコ講和条約や、各国との国交回復時の諸条約により、日本国内での問題に口を差し挟むのは、それに呼応する国内のマスコミなどが無い限り、奏功するものでは無いと考えます。
以前にも述べた様に、この国では、亡くなった方々は、仏や八百万の神々とよく似た立ち位置の先祖となり、現世の人の間のどこかにあります。その形は、どんな言葉で横槍が入ろうと、連ねられてきた思いとして、変わることの無いものです。
岩おこしなど、なんらかのお菓子をもらえるから、というのが理由の一つではあったのですが、それでも、礼讃偈(らいさんげ)や佛説阿弥陀経などは、幼い子どもに特有の記憶力で諳んじていたものでした。
長じてからは、日本人らしい無神論者(外国人から見た場合)っぽい意識で、特に宗教を意識することなく過ごしていますが、それでも、先祖や亡くなった家族を敬い、祀る気持ちはあります。
遠い世代の親族には、戦没者、戦中戦後に病気や怪我で亡くなった方も居られますし、小さな頃には、繁華街で戦傷者の社会鍋にお金を入れたこともあります。
そういった、ごく普通の気持ちに対し、戦後の歪んだ教育、世論などが、戦前戦中の日本の体制を全否定する誘導方針から、無辜の戦没者をも含む慰霊施設に対し欺瞞に満ちた糾弾を行ってきました。その尻馬に乗るように、極東軍事裁判の当事者ですらなかった中共や、さらには同じ敗戦国であり戦犯とされている人すらいる韓国が、日本のエセ左翼の尻馬に乗る中共の更にその尻にへばり付くようにして、同じように糾弾しているのは、哀れみすら感じるような滑稽さだと感じます。
敢えて些事に囚われた見方をすれば、戦犯合祀の問題や政教分離の問題はあるかもしれませんが、今の日本という国、国体は、WW2を含む歴史の上に建つものですから、国民の代表を任ずる人が、戦没者の慰霊に赴くことは、個人的な宗教観からも、なんらおかしいことでは無いように思いますし、サンフランシスコ講和条約や、各国との国交回復時の諸条約により、日本国内での問題に口を差し挟むのは、それに呼応する国内のマスコミなどが無い限り、奏功するものでは無いと考えます。
以前にも述べた様に、この国では、亡くなった方々は、仏や八百万の神々とよく似た立ち位置の先祖となり、現世の人の間のどこかにあります。その形は、どんな言葉で横槍が入ろうと、連ねられてきた思いとして、変わることの無いものです。