心のよりどころ。毎日が日曜日。

恩師に人のために生きることを学びました。
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なぜ鬱病は治りずらいか

2009-10-16 17:48:26 | 人生相談

*鬱病(うつびょう)の話

ある先生の鬱病についての講演を聴いてきました。最近、若い人

から中高年にまで多くの鬱病の患者が増えているといいます。

現に公務員の中にも増加傾向の話を聞いています。

急に登庁しなくなり電話の連絡もつかなく困っているとの話です。

講演を聴いていると鬱には、いろいろな原因が重なり発生すると言

います。人間は誰でも欝病の要素は満ち合わせているといいます。

それが何らかの原因で出てきてしまうと言います。結局は、鬱病の

根本的な原因は現代医学においても、はっきりと分からないのが現

状のようです。

病院では専門の先生が、直接患者と直面しカウンセリングを行い、

薬を処方しているのが現状のようです。結局、長期にわたり治療す

るほかないようです。

私のところへも鬱病の相談は多いです。病院でのカウンセリングの

内容を聞きますと、先ず「よく寝むれますか」「食事はどうですか」「気

分はどうですか」などと日常の状況を聞かれるそうです。何も楽しい

話は無いとのことです。

カウンセリングは、相手の心や気持を和らげることではないかと思い

ますが。

では、家では話も笑いもせず何もしないで部屋に閉じこもり、音楽や

テレビを聞いたり見たりしてゴロゴロしている鬱の方が、私のところへ

来られますと、ちゃんと話をしますし、笑顔も出ます。なぜなのか分か

りません。

訪ねてこられたときと、帰るときの顔付きがまったく違ってお帰りにな

ります。このような方は先ず安心です。必ず近いうちに病から開放さ

れます。私自身もビックリしています。

今まで何人もの方が鬱病の相談に見えましたが、全員立ち直ってい

ます。

私は私なりに、師より教えて頂いた話をするだけですが、この話は、

鬱病になる原因を簡単に話すことなのです。現代の医学者や科学者

は絶対信用しないような話ですが、師のところへは病院の先生や有

名な病院の看護士さんたちが定期的に通って話を聞きに来ていまし

た。

私のところに来て、急に快方に向かって治ってしまった患者さんに対

して、最近は先生が疑問を持ち「何かしてきましたか」と聞くそうです。

私は聞かれても「何もしていません」と答えるように言っていますので

患者さんはその通り答えているようです。

このことは、他の病気の方の場合も同じで必ず急に快方に向かって

ゆくと聞かれるそうです。「何かあるんではないか?」と先生方も思っ

ているのではないでしょうか。実際に何度も先生から問われた人もお

ります。

人間は宇宙の中の自然の生き物ですから、宇宙の真理の中に生か

されているのです。

その真理を知り、その教えに従って行動すれば良いわけで、何も難

しいことはありません。

その教えに中に、さまざまな問題の原因が記されているので、それ

を教えてあげることによって問題は解決するようです。

まだまだ未熟な自分ですが、師の教えを伝えながら少しでも皆さん

のために貢献できるようこれからも努力するつもりです。


心に響く禅語 その6

2009-10-16 16:30:13 | 生きる智慧

こころに響く禅語 その6

*心無罣礙(しんむけいげ)

私達がよく耳にする「般若心経」の一節である。「心無罣礙」と

は、心のわだかまりがないこと。私達は心配事があれば心配

に心を捉われてしまい、悲しいことがあれば、悲しみに心を奪

われてしまうようである。そしていつも心のどこかにひっかかり

を作って、くよくよ考え込んでいる。その心のさまたげを「ケイ礙」

という言葉で表現している。「ケイ」とは魚を捉える網のこと、

「礙」とはさまたげを意味し、私達の心が網にひっかかってもつ

れた状態、私達は心配や悲しみに心を奪われなければいいの

だが、実際問題として不可能である。生きている人間である以

上悲しみ苦しみはつきまとう。何か心配事があるとそのことが

頭から離れない。夜もおちおち眠れない。ひどい場合はノイロ

ーゼになったりする。

だから心の「こだわり」「わだかまり」を捨てるように般若心経は

教えている。悲しみは悲しみとして受け止める。苦しみは苦しみ

として受け止める。それが、「心無ケイ礙」の説くところである。

悲しみ、苦しみはだれでも受ける。受けた心のダメージをどのよ

うに処理していくのかが、問題なのである。自己の宗教心をしっ

かりと確立している人は、きっと立ち直りは速いと思う。私達は

物事に「こだわりつつ」「こだわらない」心を学ばなければならない

。心に「わだかまり」「こだわり」を持たないで生きることは大変難

しいことです。

しかし、「わだかまりや」「こだわり」を持っているとすべてに疑心

暗鬼となってしまう。

「先入観」や「わだかまり」を出来るだけ持たないように生きること

が大切でしょう。