心のよりどころ。毎日が日曜日。

恩師に人のために生きることを学びました。
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心に響く禅語 その4

2009-10-09 18:04:33 | 生きる智慧

禅語 その4

*夢      夢ははかないものか?  (金剛経)

仏教では「いろは歌」の「色は匂えど散りぬるを」(美しく色

香漂う花も、やがて散ってしまう」に表されるように、世の

中全ての現象は、実体のない仮の姿で、夢幻のように何

ひとつとして同じ状態で続くものはないと言う諸行無常の

思想があります。

その実体のない仮の姿、仮の世を、私たちは真実だと思い、

永遠に続くものと思って執着していますが、それははかない

夢幻、泡影のようなものだと論するのが、次の言葉です。

    一切有為法    如夢幻泡影                                    
(いっさいのういのほう) (むげんほうようのごとし)

  如露亦如電          応作如是観
(つゆのごとしまたかみなりのごとし) (またかくのごとしかんをなすべし

この世の一切の事象は、夢幻のようで、泡のようで、影のよう

だ。露のようで雷のようでもある。迷いの多い生活から目覚め

るためにも、この世のすべてを夢と知れ。

禅語としては、沢庵和尚(たくわんおしょう)の辞世の「夢」が有名で

す。沢庵は「夢」の字を大書し、横に「是(ぜ)もまた夢、弥勒(みろ

く)もまた夢、観音もまた夢、仏云く(いわ)、正に是(かく)のごとき

観を作(な)すべし」と書いた後、亡くなったといわれます。

つまり沢庵は、一切の事柄は夢であり、すべてに執着から脱却

した状態にあると言ったのです。

沢庵はこの世の一切のものが仮の姿であることを悟った境地で

「夢」と書きました。

悟りの世界に行ったとき、人はもう儚い夢を見ることもなく、現象

の仮の姿に惑わされたり、酔いしれたりすることもないのでしょう。

そんな安らかな心境を、「夢」の一字に表したのかもしれません。

と記されています。

私は、読み進むうちに沢庵和尚のような心境に近づくにはどうすれ

ばなれるか、等と愚かなことを考えたりしましたが、悟りの世界は

死後の世界なのですね。

私たちは日頃から、この仮の状態の中で執着し迷い悩んでいるの

ですね。仮の世界なのにものごとに執着するから問題が起こるの

でしょう。すべての事柄は諸行無常であることを再認識すべきでし

ょう。


心に響く禅語 その3

2009-10-07 17:56:45 | 生きる智慧

禅語 その3

*放下著(ほうげじゃく) 「投げ捨てて」自由になる。
                          (六祖壇経)

無心になることは、難しいことです。修行者であっても「無心」

の境地にはなかなか到達出来ないようです。無心になろう、

無心になろうと思えば思うほど、心のモヤモヤが広がるようで

す。修行者であっても、少し道理がわかってくると、悟りの境

地に迷うと言います。

ましてや、私たち凡人が日々の悩みを捨て去るのは、とても

難しいことです。でも、捨て去ろうと頑張るほど、悩みや辛さに

絡みとられることもあります。

壁にぶつかったときこそ、あえて「放下著(投げ捨てる)」の気持

で向き合っていきましょう。

と記されています。難しいことですね。


心に響く禅語 その2

2009-10-05 17:56:59 | 生きる智慧

禅語 その2

*脚下照顧(きゃっかしょうこ) 

          わが身、わが心を見つめる。

文字どおり「自分の足下を良く見つめなさい」ということです。

足下を見ることは、わが身、わが心を見つめることでもあります。

足は人間の体を支える根幹です。足下がぐらつくと、安心して立

つことができません。身体が安定しないばかりでなく、心まで不安

定になってしまいます。

足下がぐらつかないよう、土台を固めるには、常にわが身の行い

を振り返ることです。

いま思っていることを振り返り、毎日使っている言葉を顧みる。

無意識のうちに他人を傷つけてしまう言葉の過ち、わだかまる恨

みや怒りなど、自分の中にあるマイナス部分を認め、反省する気

持を持つことです。禅寺の玄関にはよく「脚下照顧」と書いた看板

があります。これは「上がる前によく自分の足下を見なさい」という

意味で、脱いだ履物をきちんとそろえましたか?という注意書きで

す。しかしこの言葉は、たんに履物の脱ぎ方を注意しているわけで

はありません。「形は心の表れ」と言いますが、心が乱れていると、

何ごともきれいに整えることが難しくなるものです。玄関を見れば

その家の状態がわかるというほど

、靴の脱ぎ方ひとつにも、心のあり方が見えると言われます。

心が余裕を失いそうなときこそ、立ち止まって足下を見つめたいも

のです。

ドキッとしますが、早く玄関に行ってみて下さい。皆さんいまから

「脚下照顧」を実践してみては如何でしょうか。心が安定し余裕が出

てくること請け合いです。