「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
生きて帰ってきた男
http://blogos.com/article/151701/
ある日本兵の戦争と戦後 小熊英二著 岩波新書
この作品は、小林秀雄賞を受賞。
http://www.shinchosha.co.jp/prizes/kobayashisho/
私がこの作品に惹かれたのは二点ある。謙二さんが大正14年(1925年)生まれで、私の父(大正7年)や母(大正13年)と同世代であった。もう一つは、立川スポーツというお店で縁があった。
私が悔やんでいるのは父や母から体験を聞いていなかったことである。どこにも連れて行ってあげられないことも悔やんでいるが・・・。でも、この本を読むことで小さい頃の父や母と過ごした「生活」の匂いが浮かび上がってきた(p14の高円寺の自宅間取りとその周辺)。私の昔の住宅を振り返れば、風呂屋があって、八百屋、魚屋、炭屋、豆腐屋、米屋、お茶屋、あんこ屋、雑貨屋さんなどが周辺にあった。たいへん賑やかだった。
父が兵隊で満州に行っていた写真は数枚あった。どこで何をやっていたのかは聞いていない。聞けなかった。戦争の話になると話をそらした。
私が都立田無工業高校の実習助手の頃、学校に営業に来ている立川スポーツの人と、体育教官室や事務室でだべった記憶がある。その人が小熊さんであったかもしれない。(昭和40年から昭和44年)
次のような言葉が心にしみた。
「シベリア抑留に限らず、戦争体験の記録は、学徒兵、予備士官、将校など、学歴や地位に恵まれたものによって書かれていることが多い。それらは貴重な記録だが、特定の立場からの記録でもある。生活に余裕がなく、識字能力に劣る庶民は、自分からは歴史的記録を残さない」
「シベリア抑留者には、《シベリア帰り》だったために警察に監視された、地域社会で差別された、職業を得るのに不利をこうむった、という経験を語っている例が少なくない」
「だから《南京虐殺はなかった》 とかいう論調が出てきたときには、《まだこんなことをいっている人がいるのか》と思った。本でしか知識を得ていないから、ああいうことを書くのだろう。残虐行為をやった人は、戦場では獣になっていたが、戦後に帰ってきたら何も言わずに、胸に秘めて暮らしていると思う」
「記録されなかった多数派」の生活史である。
この新書は読みでがあった。日本は貧しかったのだ。でも、今と何か違う。その辺も謙二さんはきちんと主張している。
「自分が二十才のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。情報も与えられなかったし、政権を選ぶこともできなかった。批判する自由もなかった。いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうとしない人が多すぎる。これから二十年もたてば、もっと悪くなるだろう。経済も国債の金利が上がったら、大破局がくるかもしれない」