昭和偉人伝 都会派歌謡のヒットメーカー 吉田正
生きる
命ある限り
なんとなくチャンネルを回したらこの番組(BS朝日)と出会った。
こうやって振り返ってみると、私の人生は吉田歌謡がつねに後ろにあったような気がする。吉永小百合さんのデビュー曲「寒い朝」を聞くと鳥肌が立ち、身震いがする。また、橋幸夫さんとのデュエット曲「いつでも夢を」を聞くと涙が溢れてくる。目標もない生きる価値を見出せない青春の時出会った曲だ。
印象に残った曲は「傷だらけの人生」だ。作詞は藤田まさと、作曲は吉田正、歌は鶴田浩二の三人。共通しているのは「戦争」。必ず歌の中に「ちゃんと生きろよ」というメッセージが入っているという。
吉田正さんは日立工業専修学校を卒業。母校の校歌を作曲。今も歌い継がれている。番組の中で校歌が歌われたら「ぞっと」した。
もう一度、日立市にある吉田正音楽記念館に行ってみたい。吉田さんが約2400曲作った中で一番好きだという「いつでも夢を」を小さなミュージアムで聴きたい。
「有楽町で逢いましょう」「誰よりも君を愛す」など、吉田正の洗練されたメロディーは、都会派・都会調と呼ばれ、瞬く間に日本中に広まった。さらに、吉田が生み出した「いつでも夢を」「美しい十代」などの青春歌謡、「恋をするなら」「恋のメキシカン・ロック」などのリズム歌謡も多くの若者を魅了した。常に新しいスタイルを取り入れた斬新な吉田メロディーは、高度経済成長期に日本を支えた人々の心を癒やし、勇気づけた。吉田は、生涯で2400を超える曲を送り出した。国民栄誉賞の事由ともなった“吉田メロディー"とはどのようなものなのか?そのオリジナリティーはどのようにして生まれたのか?また、なぜ吉田メロディーは今も愛され続けるのか?それらの答えを解くため、吉田の門下生の歌手をはじめ、作詞家、親族らにインタビュー。代表的な楽曲を紹介しながら、昭和ヒット歌謡を生み出した希代の作曲家の人生と、吉田メロディーの魅力に迫る。
本はなぜ人を惹きつける
「殉教者」加賀乙彦著 講談社発行を読んでいる。朝日新聞の書評欄を見て購入した。
そもそも私は宗教に興味がなかった。神社に行って形通りの手を合わせ礼をしていたが何も考えていなかった。日本の宗教の源流を受講してから気持ちが変わってきた。
NHKの「100分de名著」の番組から気持ちがまた変わってきた。歎異抄から親鸞に興味を持ち、「親鸞全三部作」五木寛之著を読んだ。詳しいことはわからないが読んだ事実は残った。
http://book.asahi.com/booknews/update/2016061700002.html
今、静かな深夜に「ペトロ岐部 殉教への道」を読んでいる。キリスト教のこと、歴史的な背景、難しい用語の検索などでページが進まない。でも読んでいて毎日が楽しい。あたらしい勉強だからだ。今さらと言われても返す言葉がないが。それでも前に進もう。
昨日、Eテレをみていたら100分de名著で「坂口安居 堕落論」が取り上げられていた。前回の「ルソー」でつまらない思いをしたので忘れていた。テキストを買って前に進むことにした。ショックを受けた。今の社会に十分適合することばだと思う。
今日の定点 曇り時々晴れ(午後1時半ごろ)、気温25度、湿度78%。
野川公園テニスコートでコスモスセブンの活動。蒸し暑いので汗びっしょり。公園事務所に七夕飾りがあった。野川公園の緑はいつ行ってもいい気分になる。夕方、銭湯に行く。三鷹らしい景色を見た。