定点の天気 外に出ると息苦しい!
午後10ゴロ、曇り、気温27度、湿度74パーセント、無風。まてよ、昼間はどうだっけ。午後1時半ゴロ、曇り時々晴れ、気温27度、湿度74%。
初めての経験。昼と夜の気温、湿度が全く同じ。よくこんな気象状況に中でサッカーができるな。Jリーグ浦和—大宮の埼玉ダービーをやっていたが、ここ味スタでもFC東京と柏の試合があり柏が1−0で勝利。プロは鍛えているから頑張れるのだろうが、我々素人は外に出ただけで頭が締め付けられるようだ。天文台通りもFC東京ファンが大勢応援に駆けつけている。長友とか武藤の看板選手がいると観客が大幅に増えるだろう。無理な話だが。
http://www.jleague.jp/match/j1/2016/071702/live/
永六輔さん さようなら
NHKアーカイブス「永六輔さんが遺(のこ)したメッセージ」
1963年、昭和38年は高校3年生だった。テレビがあったかどうか定かではない。景気が上向き、東京オリンピックを翌年に控えていたからカラーテレビがあったかもしれない。吉祥寺の「みどりや」で月賦で買ったのかな。まだ丸井はなかった。
当時、永六輔さんの「夢で会いましょう」は私には理解できなかった。現実離れしていた。今日見て初めて面白いと思った。ということは、今のテレビ番組がまったくつまらないということ。考えて、お金をかけて、視聴者のための番組を作ってない。
http://www.1242.com/lf/articles/10283/
夢であいましょう バラエティ番組 モノクロ番組 放送作家 生放送
http://www.nhk.or.jp/archives-blog/genre/variety/9022.html
1963年(昭和38年)
今日はあかちゃん 梓みちよ
上を向いて歩こう 坂本九
坂本スミ子
中島ひろ子
テレビファソラシド
http://www.nhk.or.jp/archives-blog/genre/variety/178388.html
自分がテレビに出た 女性アナウンサーを活用
作詞家 いい湯だな(1977 昭和52年) 帰ろかな(1965 昭和60年)
気になったことば 終わった人
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12464761.html?ref=nmail_20160717mo
過去の栄光にしがみつき、現状を受け入れられない。自分はまだやれる、終わってないと言い張る。しかしそれはいわゆる老害なのではないかと、本人もうすうす気づいており、逡巡(しゅんじゅん)と悪あがきが続いていく。
いつ頃か、私も強くそう思い込んだ時期があった。アルコールをがぶ飲みし自分を見失った。他人を責めていたが、今思えば自分の未熟さがあった。“終わった人”と自分で決め込んでいたのだ。が、古希を迎えたら力が抜けた。過去を忘れるために自分を責めてみた。上っ面だけの仮面人間から生まれたままの人間に一歩近づけられるかトライしてみた。それは一番辛いアルコールを断つことであった。伯母の死に直面し愕然とした。人間はこんなかんたんに死んでしまうのだ。生きていることをもっと大切にしようと。当たり前のことが・・・。からだも軽くなり自由な時間も増え新しい自分つくりが始まった。一番変わったのはテニスの動きだ。どうなることやら。