みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 梅やん、日赤病院にて胃ろうの交換

2021-11-25 06:25:00 | 日記


昨日は朝の10時に海部病院から電話連絡があり、梅やんは小松島市内の日赤病院で胃ろうの交換をしていただくことになりました。私も昼食後、徳島日赤病院へ向かいました。5ヶ月ぶりの日赤病院は銀杏の葉がきれいに色づいていました。


あの時と同じ救急室で梅やんは居りました。検査の結果は、胃の壁の粘膜内に胃ろうのバンパーが食い込んで周囲が腫れて埋没していたのです。それで、透視下の内視鏡で見ながらバンパーを閉めて引抜く治療をすることになりました。


時刻は午後4時を過ぎて小松島の景色も薄暗くなりました。梅やんに面会して、ここは日赤病院じゃ、お腹の検査するから頑張れよ!と激励してあげました。梅やんは「もうせんでええわ、もうええわ。」と小さな声でハッキリ返事をしました。私は梅やんの意識はしっかりしているな、と安心しました。しかし梅やんはかなり参っているようで可哀想になりました。


内視鏡室へ移動してから施術が行われ、外で待っていると、医師が無事に成功したと呼びに来てくれました。説明によると、上手くバンパーを抜去できたので旧式のバルーンの胃ろうに入れ替えたとのことでした。5日間ほど経過を見て傷が癒えたら胃ろうからの流動食を再開できるとのことでした。それまでは経鼻経管栄養で流動食を鼻から胃へ行くようにするそうです。一泊入院して明日は海部病院に帰ります。


術後の梅やんは鎮静薬が効いているのか寝ておりました。病院の8階から外を見ると真っ暗になっておりました。
それにしても、抜去したバンパー式の胃ろう器具は胃の中ではマイナス型に食い込んでいたのに、取り出して医師が見せてくれた血がついた器具はプラス+に丸くなっていたので、胃粘膜の中で半開き状態で固定してしまったのかなあと私は思いました。次の機会に海部病院で説明してくれるでしょう。


結局、前に健生病院で入れてもらった物と同じバルーン式の胃ろう器具になりました。ひと月ごとに入れ替えをするようになります。その方が安心でしょう。病院8階の病棟では多くの患者さんの処置や世話をする看護師がテキパキと働いておりました。夜空に赤い赤十字のマークが輝いているかのように見えます。私はきょうだいたちに電話で報告してから病院を後にしました。


明日の段取りを考えながら、私の軽自動車は県南の山の中の木沢へ向かいました。途中の和食のコンビニで休憩してケアマネジャーのハヤカワさんに報告しておきました。


8時過ぎに実家に帰り、私は遅い夕食を食べました。
それでは今日はこの辺で。