みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 西三子山の夏

2019-06-20 00:18:58 | 日記
昨日、私は家裏の石垣の修繕をしました。もう少しコンクリートを入れて固める必要がありそうです。
阿津江地区の崩落土留め工事完成
フミ叔母から電話が掛かり、カキマゼズシとサラダをいただきに行く事になりました。帰りにチイ叔母宅にも持ち寄りましたが、留守でした。府殿から対岸のアヅエがよく見えます。平成16年の豪雨災害で深層崩壊して老父婦が土石流に流されて亡くなった所です。あの日は私の父リキさんも亡くなり3人の犠牲者が出ました。こうした大規模崩壊では電線が全て切断され、集落が孤立します。
ニシミネ山
お天気が良くて西三子山が格好よく見えます。子どもの頃は思わなかったけれど、こんな険しい、厳しい所に人々がよく住んでいたものだと感心します。
玄関の掃除
デイサービスから帰った梅やんは庭の掃除を始めました。
ニワトリたちを鶏舎に追い込んで仕舞いました。
夕食はいただいたお寿司です。食べる前にフミ叔母にお礼の電話をさせたのですが、食後の梅やんは「このお寿司は買ってきたんか」と私に問いました。違うよ、キミちゃんが作ってくれたんだよ、と私は言いました。
これから夕食です
外は日が山に沈み暗くなります。そろそろ夏至が来ます。
庭の夕景色
入浴して9時半に寝ていると、梅やんは、「明日の飯はたかんでいいのか」と起こしに来ます。2回目には布団に抱え込んで寝させました。ここはワシの家じゃ、飯はワシがたく!と勝手なことを言う。
入浴後の紙パンツに尿4回分のパットを私が貼り付けてあるのをわざわざのけて置いてある。食後の薬は半分残してある。まことに勝手な事をして人の言う事を聞かない梅やんです。
昨日は新潟山形地方で震度6強の地震がありました。
今日は梅やんはデイサービスへ。私は家の大掃除をします。ではまた明日。

みなみの梅やん介護日誌 漢方薬追加

2019-06-19 04:42:18 | 日記
昨日の梅やんは木沢診療所を受診しました。先週の上那賀病院脳神経外科受診の返事が診療所に来ていて、夕方症候群のような夜の不安感対策のために、ツムラヨクカンサン83の漢方薬を追加して飲むことになりました。5〜6年前に一度飲んで試していたことがありましたが、アリセプト錠の副作用で胃部不快感が強くてこの薬はやめていました。今はイクセロンパッチ13、5mgで安定しているので今度は大丈夫かな。
漢方薬
ヨクカンサンカチンピハンゲ。この薬の名は覚えられないです。
骨粗しょう症のテリボンの注射もして、パンフレットをいただきました。
週一回の骨粗しょう症の注射
実は梅やんの姉、木頭出原のアキ姉は92歳まで自宅で元気にして居たのですが、転倒して大腿骨を骨折して入院後、寝たきりになり1年後に亡くなりました。梅やんは病院へ見舞いに行ったのですが、梅やんはすでにボケていて何度も同じことをアキ姉に聞いていたことがありました。
アイスクリームを食べる
診療を終え、横の農協の店で買い物して、アイスクリームを食べていると、たまたまチイ叔母が店に来ました。
チイ叔母と梅やん
そばには木沢診療所のバス停があります。
診療所前バス停
9年前、81歳までの梅やんはこのバス停で乗り降りしてひとりで通院していました。よく頑張ったものです。遠く離れて暮らしていると、家族でもまったく気が及びませんでした。私は、1人でいけるとこまで行くしかないわ、と考えて自分の仕事をしていました。
追っ立てダムは砂ばかり
きれいな滝
帰宅して洗濯物を取り込む梅やん
私の身体の方は、阿南診療所で循環器と呼吸器の検査をしてもらいましたが、負荷心電図も異常無く、肺機能も肺活量3600cc有り、大丈夫のようでした。来週もう一度受診予定です。
それでは今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 梅やんの即時記憶、短期記憶、近時記憶

2019-06-18 02:53:29 | 日記
昨日は月曜日でした。梅やんはデイサービスに行き、私は休養日にしました。私のことですが、今年は草刈りをしても格別にしんどくて長く続きません。ダイエットも今年はうまく出来ません。そこで阿南診療所の循環器の先生に受診する事を予約しました。
父と母、1996年5月
玄関にリキさんと梅やんの写真があります。23年前、1996年5月の撮影です。多分、ユキ妹が写したものでしょう。梅やんは66歳の時です。今の私と同じ歳です。介護人もかなり疲れてくる年頃だから、私の身体を調べておくことにしました。リキさんは在宅酸素療法をする事となって2年目の写真だと思います。
午後4時30分デイサービスから帰る
梅やんは元気にデイサービスから帰りました。
夕食は四季美谷温泉でアメゴの姿寿司を買って来て、2人で食べました。
夜はまた、風呂に入ると言い出して聞かず浴槽に水を入れましたが、お湯にする方法が分からず怒り出しました。セツ姉に電話して聞いてもらえと私が言って番号をいうと、088-661…とボタンを押してかけることができました。聞いて直ぐの短期記憶はまだ大丈夫のようです。
先日の上那賀病院での長谷川式の知能検査でも、100ー7は93と正解でした。しかし、93ー7はできなかったし、桜、猫、電車は出来ませんでした。
「うちの子しっとは風呂にも入れさせてくれん、ここはワシの家じゃのに、クソシンダイ、死んだ方がマシじゃ。昼デイサービスでは入った覚えない!」と本気でいよりました。近時記憶はダメです。
夜の樫戸丸
私は毎日夕方、この写真のようなしきぶだにの山を拝んで見るようになりました。15歳まではこの家にいたのですが、こうして毎日見ることはありませんでした。思えば小学2年の時、この山を絵に書いて学校に持って行き、那賀郡の特選賞をもらいました。担任の岡知恵先生が、鴨島の菊人形展にその絵を飾ってあるから連れて行ってあげると言ってくれたけれど、遠いので断りました。
今日は梅やんはデイサービス、午後は木沢診療所受診です。今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 地下足袋をはいて歩く梅やん

2019-06-17 06:52:26 | 日記
昨日の梅やんは平穏な1日でした。
にいだの谷
昼食は四季美谷温泉で鹿肉のフライと刺身を食べました。向かいの山は高城山です。梅やんは16歳の時に新田でブナを切り出す作業場に勤めた事を話して、当時のイノモトさん親子はまだ生きとるだろうか、と言いました。昔の記憶はしつかり覚えています。
うちの畑の跡を見に行く梅やん
その後、横谷のうちの山を見に行きました。落石防止工事が予定されています。
午後は、自宅の周りを地下足袋履いて散歩に行きました。
柚子の木を見る梅やん
夕方はキビを焼いたのを美味しそうに食べました。
トウキビを食べる梅やん
夕食はタケノコ、ジャガイモ、マメなどを煮てオカズにしました。みんないただいたものです。タケノコは東祖谷山の日浦さんからのいただきものです。ジャガイモやマメは叔母さんからいただいたものです。
親子ゲンカはせずに1日が終わりました。
それでは今日はこの辺で。今日は梅やんはデイサービスです。

みなみの梅やん介護日誌 あまり食べていない梅やん

2019-06-16 05:27:31 | 日記
私は昨日の夕方、5時半に木沢に着きました。道中、三野のホームセンターや、貞光道の駅、山川のマルナカで買い物をしているうちに雨は小降りになりました。
釜が谷川、増水
増水した川
梅やんはパジャマ姿で庭にたっていました。
食べ残し
昨夜にチイおばが作って届けてくれたサツマイモの天ぷらが半分だけ残っています。寿しは3個だけ食べたようでした。薬は飲んでいました。
水道の蛇口が2つ開きっぱなしで、その上、雨の大水が出てホースが詰まり、タンクが空になり水が出ていませんでした。
梅やんはウロウロして邪魔なので、寝させてから私は水道の修復作業をして、一休みしました。
フミ叔母が電話で安否を確かめてくれたらしく、梅やんが出て「モリは居るぞ」と返事をしていました。
簡単に夕食を済ませると、梅やんも早く寝ました。
今日は日曜日で休日です。草刈りと雨が降れば本を読むくらいです。それでは今日はこの辺で。