みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 梅やんとの日常

2019-06-20 19:48:41 | 日記
梅やんの朝は、「今日は日曜か?」から始まります。→デイじゃ。
「紙パンツはこれか?」→そうじゃ、パットも当てろ。
「昼は出んけんのう、いらん」→尿パットを当てろ!
「歯ブラシはこれ私のか?」→そうじゃ。
ご飯を仏さんに祀れ。お茶を祀れ。これは私が指示します。
「線香の火がつかん」→でけんことはするな。
「飯祀ったか?」→まつった。
「センコウの火がつかん」→ワシがする、するな。
「何着たらええんか?」→シャツはこれ、ズボンはこれはけ!
こうしたやりとりが毎朝有ります。私の血圧は170と110mm/Hgになります。

梅やんの夜は、「飯あるんか?」と聞いてきます。→飯はワシがたくから任しとけ!
「明日のご飯たるまい?」→うるさい!アホウ、早よ寝んかい。向こう行け!
「ここはワシの家じゃ!」
こうしたやり取りは実家療法のこの1年余の間が多いですねえ。三好市での7年間は、仏壇がなかったのと台所に行かせなかったので線香や飯のことは言いませんでした。

梅やんの布団

今日は木曜日、日中は梅やんを預けて、私は家の周囲の除草作業や居間、中の間、神座敷、台所の大掃除をしました。洗濯物を干し、布団を干して、薪用の丸太を運び上げる作業もしました。
訪れる人は11時ごろに郵便さんが、2時ごろにタナカ清掃の浄化槽点検業者が来ただけでした。時折、上の県道を車が走るだけでした。ニワトリが時々鳴きますが、それだけです。山村の独り暮らしは毎日がこんな静かな1日なのでしょう。
今晩のおかず
居間は敷物や掛け布団をのけて広いテーブルに変えました。
夕方、梅やんは「シゲフミは生きとんだろうか?死んだんだろうか」と私に聞きました。そりゃあもう何年も前に死んだわ、と言うと納得したようでした。
梅やんの頭の中は過去と現在を行ったり来たりするようです。
長谷川式の認知機能の検査では、平成20年が28点、平成21〜23年1月が28点、平成23年6月が20点、以後17点、15点と続き、平成28年6月が11点、29年6月が13点、平成30年6月が14点、今年6月が10点となりました。これから更に低下していくのかどうか。
それでは今日はこの辺で。明日は私の移動日です。梅やんは一晩ひとりで居ります。

みなみの梅やん介護日誌 西三子山の夏

2019-06-20 00:18:58 | 日記
昨日、私は家裏の石垣の修繕をしました。もう少しコンクリートを入れて固める必要がありそうです。
阿津江地区の崩落土留め工事完成
フミ叔母から電話が掛かり、カキマゼズシとサラダをいただきに行く事になりました。帰りにチイ叔母宅にも持ち寄りましたが、留守でした。府殿から対岸のアヅエがよく見えます。平成16年の豪雨災害で深層崩壊して老父婦が土石流に流されて亡くなった所です。あの日は私の父リキさんも亡くなり3人の犠牲者が出ました。こうした大規模崩壊では電線が全て切断され、集落が孤立します。
ニシミネ山
お天気が良くて西三子山が格好よく見えます。子どもの頃は思わなかったけれど、こんな険しい、厳しい所に人々がよく住んでいたものだと感心します。
玄関の掃除
デイサービスから帰った梅やんは庭の掃除を始めました。
ニワトリたちを鶏舎に追い込んで仕舞いました。
夕食はいただいたお寿司です。食べる前にフミ叔母にお礼の電話をさせたのですが、食後の梅やんは「このお寿司は買ってきたんか」と私に問いました。違うよ、キミちゃんが作ってくれたんだよ、と私は言いました。
これから夕食です
外は日が山に沈み暗くなります。そろそろ夏至が来ます。
庭の夕景色
入浴して9時半に寝ていると、梅やんは、「明日の飯はたかんでいいのか」と起こしに来ます。2回目には布団に抱え込んで寝させました。ここはワシの家じゃ、飯はワシがたく!と勝手なことを言う。
入浴後の紙パンツに尿4回分のパットを私が貼り付けてあるのをわざわざのけて置いてある。食後の薬は半分残してある。まことに勝手な事をして人の言う事を聞かない梅やんです。
昨日は新潟山形地方で震度6強の地震がありました。
今日は梅やんはデイサービスへ。私は家の大掃除をします。ではまた明日。