三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
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ファンタジー系6

2005-12-11 02:32:49 | モンスター映画
 ■ナイトメアー・ビフォア・クリスマス■ のっけから引き込まれちまって。何が素晴らしいって、モンスターの種類の多さですね。種の数だけだと『モンスターズ・インク』にキモチ負けてるかもしれないけど、種の上の属や門のレベルで見ると、つぎはぎ人形嬢とか幽霊犬とかウジムシキング(としか呼びようがないんだが何だったの、最後の対決相手だったパクパク口の動きが面白すぎるあやつは)とか、広範囲のバラエティにおいてこっちが断然勝ってます。いやあいろんなの見てるだけで楽しかったってば! しかしハロウィン界がクリスマス界に浸透するオハナシとはな。必ずしも邪悪一辺倒じゃないところがいいよね、ジャックの悪気ゼロの独りよがりぶりがほのぼの系迷惑って感じで、対空砲火を歓迎の花火扱いする無邪気さと地上の混乱ぶりとの対比はなんちうか異文化接触ものちうかコンタクト系にもなりうる寓意含み。必ずしもコメディ仕立てではなくむしろ純愛ものといってもいいわけだけど、笑えること笑えること。ほら、クリスマス研究に没頭するあたりなんかさ。クリスマス界のほうももちっと様子知りたかったというか、あっちのクリーチャー、サンタ以外のにもお目にかかりたかったけど、まあハロウィン界だけであんだけいっぱい出てきてくれれば何も文句ありません。とりわけほら、パーツを自由に切断、リモートコントロールの色仕掛けまで駆使したつぎはぎ人形嬢の恐るべき性能に拍手です。濃霧なんぞも作り出しちゃったりしたしね。
 ■ラビリンス 魔王の迷宮■ いやぁこのもう、文句なしの大傑作を支えたのは、トビーとゴブリンたちの交流に尽きますな。いろんなクリーチャーが出てきて楽しすぎるわけだけど、少なくとも二つ出てきたマシーンもどきも笑えるけど、そりゃートビーの独演会にゃかないっこねーや。唯一、あの岩呼びモンスターの遠吠えだろうか、トビーに匹敵しえたのは。いや、まだまだいたな、さりげなくお目見えする小妖精やイモムシ、岩呼びモンスターいじめの杖先の小ぶりクリーチャー、放屁音爆裂音これでもか泡たっぷりの沼、あそーそー穴に落ちてくときの、顔になりたいお手々たちなんかモー最高。いちいち挙げてるときりがない愛すべきクリーチャーってばもう。そりゃまあ城壁内バトル場面とかマペット色が強すぎるのがちょっとね~だったけど、つまりあれだったらいっそ全員マペット&着ぐるみにしてくれてもよかったくらいだが(『ダーククリスタル』や『ミート・ザ・フィーブルズ』並みにね)、そ、メインの女の子(あんま可愛いと思わんかったけど)はともかくゴブリンキング(あんまかっこいいとは思……うかな、こっちは。メジャープロの貫禄で歌ってたしさすがです)のホモサピエンス丸出しはやっぱ戴けなかったなぁ、けど全編こうもデフォルメ系ファンタジーに調えてくださっちゃあ、希少品としてもはや何も文句ありまへん。テンポも素晴らしくて、舞踏会みたいな幻にハマッてすぐまたガチャーンと戻ってくるとこなんざ、時間忘れましたよ。時間区切られたってハナシなんだけどね。ラストのエッシャー無重力階段部屋はもっともっといつまでーも観ていたかったよおぉ~~。
 ■ドリームキーパー■ モロA級って感じ。CGだけでなく特撮全般が良質だったなあ。冒頭ぶあーっと地面が盛り上がる巨大コヨーテの頭出現部といい大蛇のトゲトゲ造形が絡まっちゃいそうな動きを見せるサービスぶりといいバッファローキングと急成長大樹との戦い(と言っていいよね、あれ)といい。人物の動きひとつひとつに凝った映像処理。ウームだからこそなんかすげーもったいないよ、つまり全体が聞かせ語りの中のイメージ映像って設定になってるのが。劇中劇だから一段階薄れちゃうんだよなリアリティが。せっかく絶妙の映像にクリーチャーだというのに。ただまぁネイティブアメリカン語り部道の後継を決意するというビルドゥングス・ロマンの枠組みも悪くなかったけどね(しかし彼ら思いっきりコーカソイドだったぞぃ)。人物が現実と語り世界とでオーバーラップしてるあたりはVR系にも食い込む勢い。なんかしらんけど家族愛も強調されちゃって妙に健康的な映画でした。
 ■モータル・コンバット■ もとのゲームは知らんけど、テンポがよくて楽しいですね、何も考えずずんずん進んでいけて。モンスター度高いルックス備えてるのは3種類くらいしかいないんだけど、やっぱ4本腕のデカブツはインパクトありました。間抜けな突き落とされかたでお陀仏だったけどね。しかしもとの姿は全部モンスターらしいんだから、無理してヒューマノイド忍者形になってくれないほうが。まあカンフーやるためには人間形が好都合なわけだけど、こっちはモンスター目当てなんで。だって格闘技はアルティメット・グレイシー革命以来、打撃オンリーは全然ダメってことがバレちゃってるんだもん、いつまでもブルースリーの栄光にしがみつかれても。ゲームは機動性重視ってのわかるけど映画ではもちっとリアルファイトに近づけてくれたらなあと。で、敵のボス、なんなの、えらく弱かったけど。何か事情があったのかな? 
 ■モータル・コンバット キング・アンド・クイーン■ あれれ、えーと、前作から一気に質が落ちたけど、どうしたのかな? ビスタからスタンダードに画面縮まっちゃったし、別のシリーズなのかも。ジャケットは同シリーズ含みだけどね。で、第一作(?)が結構本格異世界モノだったのに対してこれ、全然異世界じゃなくて御近所の路地裏でチョコマカやっては帰ってきて、の繰り返し。野原で巣を一つ一つ撃滅するってのも子どもの遊びみたい。ま、かくして前作の百分の一にスケールダウンしたうえ、コメントするほどのビジュアルの一瞬すらなく、オハナシ自体がなんとなーく終わっちゃったんで、私もこのへんで。
 ■リバーワールド■ うおっ、いきなりのスペースシャトル被災、異次元丸出しムード充満・海岸での全裸被災者ぞろぞろ、これほど期待させてくれた月光浴オープニング映像は他にない。素晴らしや。ところがその後がねぇ……、なにやら安っぽ系アドベンチャーに早変わりと。そりゃないよと。せっかくシュールなSFのつもりで身を乗り出してたのにジャンル変わっちゃいかんよ~。フネは綺麗だったけど甲板上のヘナチョコバトルがなんともまた学芸会。せっかくああいう始まり方した意味がますます薄れてゆく……。マいいっすけどね、画面明るくて、ビジュアル的には結構イケて、諦めて以降はそこそこ楽しめたというか。まさか『ドニー・ダーコ』式のオチじゃないよね、と心配してたんだけど、あれじゃなくてホッとしました。バトル場面さえちゃんとできてたら、案外そこそこの傑作になってたかもしれません。

忠誠のパラドクス

2005-12-11 01:19:39 | メモ
★論理式の演習問題(続・忠誠のパラドクス)

 前問の答えの末尾(『論理パラドクス』問032)「普遍化可能な読み」の方を論理記号で表わすと、次のようになる。
∀x(O(∃y(R(x,y))))
∀xは、∀xがかかる( )内の表現をすべてのx(ここでは暗黙に「すべての人間」)が満たすということであり、Oは、Oがかかる( )内が義務であることを示し、∃yとは∃yがかかる( )内の表現を満たすyがあるということであり、R(x,y)はxはyに対して忠実である、ということを示す。つまり上の論理式は、丁寧に読むと、「すべての人に次のことが当てはまる、すなわち、誰かに忠実であることが義務である」。
① では、「普遍化不可能な読み」はどのような論理式で表わされるか。書いてみよう。

答え: ∀x(O(∀y(R(x,y))))

②次の論理式は、「普遍化可能な読み」の∀xと∃yの位置を入れ替えたものだが、どういうことを表わしているか。日本語で述べよ。

     ∃y(O(∀x(R(x,y))))

答え: あらゆる人が忠実であるということが義務的であるような(崇高な)人がいる

③次の論理式は、②のxとyの位置を入れ替えたものだが、どういうことを表わしているか。日本語で述べよ。

     ∃x(O(∀y(R(x,y))))

答え: あらゆる人に忠実である義務を負っているような人がいる
これは、②の答えとは違って、ありえない状況だろう。前問「忠誠のパラドクス」で確認したように、このことが成り立ったら、Rはもはや「忠実である」を意味する述語ではなくなってしまう。

④次の論理式は、②のOと∀xの位置を入れ替えたものだが、どういうことを表わしているか。日本語で述べよ。

∃y(∀x(O(R(x,y))))

答え: あらゆる人が忠実である義務を負っているような(崇高な)人がいる

⑤ では、②と④とは意味がどう違うのか。具体的に述べよ。

② ∃y(O(∀x(R(x,y))))
④ ∃y(∀x(O(R(x,y))))

答え:②は、「あらゆる人がyに忠実である」ことが義務とされているような、そういうyがいる、ということである。
いっぽう④は、「yに忠実である」ことがいかなる人にとっても義務であるような、そういうyがいる、ということである。
禅問答みたいでこんがらがってしまうかもしれないが、この二つは明らかに意味が違う。②は、これから何人生まれてこようとも、「誰もがみなyに忠実である」ことが常に成り立たねばならぬ、と言っている。ところが④は、いま存在する人について、yに忠実であらねばならない、と言っているのであって、これから生まれてくる人については何も言っていない。
 ∀xは「すべての人は」ということなのだから、これから生まれてくる人も含んでいるのではないか、だから④の∀xもこれから生まれてくる人まですべて含んでいるのではないか、と反論されるかもしれない。その場合には、「生まれてこなかったが、生まれてきたかもしれなかった人」たちを考えてもらいたい。②は、そういう人たちを全部含めて、誰が生まれてこようが、「誰もがみなyに忠実である」ことが義務であるような仕組みになっているのだ、と述べている。④は、たまたま生まれてきた人に関して、yに忠実であらねばならない、と述べている。④では、「yに忠実である」ことが義務であるのは、偶然かもしれない。②では、Oのかかる範囲が広くて∀xも含んでいるので、とにかく「全てのものについて……」という義務が成り立つのが必然である旨を述べている。

⑥それでは、次の論理式はどう読むだろう。②④とは意味がどう違うのか。

O(∃y(∀x(R(x,y))))

答え:これは②よりもさらにOのかかる範囲が広く、全体にかかっている。②では、みんなに忠実にされるべき特定の人がたまたまいるということが述べられているが、ここでは、みんなに忠実にされる人が「いなければならない」ということを述べている。②の場合は、その人がたまたま生まれてこなかったとしたら、全員が忠実にすべき人というのはいなかったかもしれないのだが、この場合は、必ず全員が忠実にする人がいるべきだ(もし現実のあの人が生まれてこなかったとしたら別の人がその地位についていただろう)と述べている。
⑦  ⑥の文は、全員が忠実にすべき人がいなければならない、ということを言ってはいない。たまたまみんなが忠実にする人が必ずいればいい。全員が忠実にすべき人がいなければならない、という意味のことを論理式で表わすにはどうすればよいか。

 答え:②の文の頭にOを付ければよい。
  O∃y(O(∀x(R(x,y))))

 他にも、
∃y(O(∀x(O(R(x,y)))))
O(∃y(∀x(O(R(x,y)))))
O(∃y(O(∀xO(R(x,y)))))

といった論理式を構成することができ、それぞれ意味が異なっている。説明は煩雑になるので省くが、それぞれの意味の違いを日本語で(英語でもフランス語でも中国語でも)表現するのは大変である。論理記号であれば、意味の違いをズハリと正確簡潔に表わすことができる。さらには、日常言語では混同しやすいいろんなニュアンスの否定文も、否定記号「~」をさまざまな部位にくっつけることで明瞭に書き分けることができ、論理的な相互関係を理解することができる。