■風はトランプに吹き、ヒラリー・クリントンには逆風が
▼「ネオコン」って何だった?
大統領選挙予備選、いよいよ中盤戦、風はトランプに吹いている。ところで、鳴りを静めているネオコンは何を考えているのだろう?
ブッシュ・ジュニア政権では大統領の周囲をぐるりと囲んで、外交、安全保障政策を影で牽引したネオコンは、「強いアメリカ」の推進者
でもあった。対テロ戦争の主導権も彼らがとった。
ネオコンの思想的総帥格と言われたアービン・クリストフは元トロッキストからの転向で根っからの保守主義ではない。
キリスト原理主義に基づくエバンジュリカルとは一線を画した。
彼は米国社会主義労働者党に1939年に入党した。しかし過激な社会主義ゆえにソ連の失敗と非人間性に反発し、保守主義に衣装替えした。左翼はこの一点を演繹し「ブッシュの周りを囲むネオ・トロッキストらが唱える『永久革命』は『永久征服』だ」などと皮肉った。
日本の知識人の間でも激越に議論されてきたのは「転向」の問題だろう。
共産主義の誤謬を素直に認め、日本主義に転向した人々には様々なタイプが存在し、あっけらかんと転向した吉本隆明、清水幾太郎の例が示すのは本人の心構えである。じめじめとした転向はこころも晴れない。
転向というより獄中にあって日本の美しさを発見して革命幻想から醒めたひとたち。
「日本回帰」の表現が正しいタイプと思われるのはは林房雄、浅野晃といった浪漫派の系譜に多い。田中清玄、水野成夫、徳間康快ら。
転向の「屈折」や「反省」が大きすぎる辻井喬(堤清二)や、大問題となった佐野学らの転向も話題を呼んだ。
近年では60年安保以後の唐牛健太郎、西部遭に象徴される。米国のネオコンの転向もタイプは様々で、だから機関誌も幾つかの流派に分かれ、統一された組織も行動もないが、通底しているのは誰にも湿り気がなく、意気軒昂としていることだ。
米国の左翼リベラルなメディアはブッシュ政権発足以来、一貫してこの「ネオコン」を目の敵として非難・攻撃してきた。
嘗てブッシュ・ジュニア政権内にはチェイニー副大統領(ディック)、ラムズフェルド国防長官(ラミー)、ウォルフォウィッツ国防副長官(ウォルフィー)の「タカ派三羽烏」がネオコンを象徴したと言われた。しかし前者二人は強硬派に違いないが、保守本流の現実主義者であって、ネオコンではない。
前国防長官顧問(国防政策委員会委員長)のリチャード・パールやダン・クエール元副大統領など「政権」と「実業界」の中間にいる政治的人脈も同じカテゴリィに入れられたがまったく異なる人脈である。
「彼らは9・11テロ事件より遙か以前からイラク戦争を準備し、主唱し、組織化し、政権を突き動かした。次にシリア、イラン、北朝鮮征伐だと息巻いている。
彼らとはディック、ラミー、そしてウォルフィーだ」(「サンフランシス・コクロニクル」、03年4月4日付け)という分析は大雑把すぎるうえに基本の定義が間違っている。
▼ネオコンになぜユダヤ人が多いのか
ユダヤ人が多いのでネオコン=シオニストという同一視反応を読者に植え込もうと躍起だった。
ネオコンには転向組が多く、ユダヤ人も多い。となれとどうしても一方的なプリズムがかかりやすい。日本のマスコミは短絡的なアメリカ思潮の亜流だから、同じ分析がやたら目に付いた。
つまりネオコンは正しく評価されていなかった。当時、筆者はネオコンの正体を詳細に論じたことがある(拙著『ネオコンの標的』、二見書房を参照)。
ともかくマスコミの分析は消化不良で、報道と実態とは天地の隔たりがある。いまの主要メディアのトランプ叩きも似たようなところがある。
もっとも極右とかヒトラーとかのレッテル張りは政治につきもののプロパガンダ戦争の戦術ではあるが。。。。
「ネオコンとブッシュはバカ」と短絡に扱う書籍は、日本ばかりか米国でもベストセラー入りした。
たとえば左翼の映画監督マイケル・ムーア「アホで間抜けなアメリカ白人」(柏書房)、極左の思想家チョムスキー「9・11ーーアメリカに報復する資格はない」(文藝春秋)
グレッグ・パラスト「金で買えるアメリカ民主主義」(角川書店)など。
しかしムーアとかチョムスキーとか、米国では「極左」の変人扱いで、保守層の知識人は誰も相手にしていない。
滑稽だったのは「ネオコンはユダヤの陰謀に加担している」(ドビルバン仏外相)などと事実無根の批判を伴うのも特徴的である。
またユダヤ人が割礼の風習を持つことを引っかけて「割礼の枢軸」とも。
奇妙なことに、このリベラル派からの攻撃と超タカ派の領袖=パット・ブキャナン(元ニクソン大統領側近)が同じことを言う。
基本的に両者は米国政治における水と油の化学式で描ける関係にあり、イラク戦争の世論形成のときのような一時的な「呉越同舟」はあっても、相互不信は抜きがたく、決して和合することはない。ネオコン攻撃は米国内のリベラル派が計画的に仕組んでの巧妙な世論工作だったのである。
現在の構図にあてはめるとテッド・クルーズなどがネオコンにやや近いが、保守本流のルビオとは水と油の関係であったように。
第二はネオコンの多くが80年代初頭に共産主義に失望したリベラルからの転向で占められたため、リベラル派には近親憎悪が潜在心理にあり、このため批判は憎しみと執拗さが特徴的となる。
この点は数こそ減少したが、草の根運動を指導する活動家に目立つ。日本でも市民運動、反原発、安保法制反対のシールズなど、偽装組である。
第三はレーガン革命の主流だった「ニューライト」や「保守本流」から見れば、庇を貸して母屋をネオコンに乗っ取られた格好で、面白くない。
それで保守本流からもネオコンへのどぎつい批判が起きた。正確なネオコンの定義、その動きに関しての情報分析と把握が日米同盟を基軸とする日本の将来に重大な意味を持つ筈だったのに不勉強なメディアは徒にネオコンを批判しただけで終わった。
いま、このネオコンは旧ソ連圏の東欧に進出し、各国で民主団体などと連携し、むしろ米国より欧州で影響力を行使している。(この項、つづく)
以上、宮崎正弘記事
>ネオコンの思想的総帥格と言われたアービン・クリストフは元トロッキストからの転向で根っからの保守主義ではない。
>米国の左翼リベラルなメディアはブッシュ政権発足以来、一貫してこの「ネオコン」を目の敵として非難・攻撃してきた。
>現在の構図にあてはめるとテッド・クルーズなどがネオコンにやや近いが、保守本流のルビオとは水と油の関係であったように。
>草の根運動を指導する活動家に目立つ。日本でも市民運動、反原発、安保法制反対のシールズなど、偽装組である。
>このネオコンは旧ソ連圏の東欧に進出し、各国で民主団体などと連携し、むしろ米国より欧州で影響力を行使している
アメリカの保守とか、右翼扱いされているネオコンも元トロッキストからの転向で根っからの保守主義ではないことが、何か、騙されているような左翼のお芝居で世界が動かされているように感じる。