はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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地這う龍 四章 その10 思わぬ助け

2024年02月04日 10時04分19秒 | 英華伝 地這う龍
『だれなの? 味方?』
怯えつつ、曹操の兵のほうに注意を戻す。
すると、曹操の兵も麋夫人《びふじん》の存在に気づいたらしい。
人食い鬼のような顔を土塀の向こうからのぞかせて、怒りの形相のまま、麋夫人と少年のところへやってくる。
そのときである。
曹操の兵のうしろから、にゅっと白い手が伸びた。
あっ、と麋夫人が驚く間もなく、その白い手は曹操の兵の髭だらけの口を覆いつくす。
つづいて、もう片方の手が、手際よく、男の首筋に短刀を突きつけていた。


口をふさがれたまま、男はなにかを叫んだ。
だが、ほどなく首筋からすさまじい出血をすると、膝から崩れ落ち、やがて絶命した。


あまりの手際のよい一連の展開に、麋夫人は声を上げることもできず、目を見張るしかない。
白い手の持ち主が男の背後からあらわれる。
いかにも婀娜《あだ》っぽい雰囲気の、短い筒袖の胡服《こふく》を着た女だった。
砂塵に巻かれて汚れてはいたし、身なりも崩れてはいたが、それでも十分に美しかった。


女は手際よく曹操の兵の脈をとり、死んだのをたしかめると、麋夫人に、やさしく微笑みかけた。
「間に合ってようございました。玄徳さまの奥様でらっしゃいますね? 
以前にお見掛けしたことがございます」
麋夫人はことばをうまく紡ぐことが出来ず、ええ、と短く返事をすることしかできない。
しかし女は気にせず、こんなときだというのに、優雅に礼を取ってみせた。
「お初にお目にかかります、崔玉蘭《さいぎょくらん》と申します。
世間では藍玉《らんぎょく》という名で通っておりますわ」
「そ、そうでしたの。助けて下すって、ありがとう」


子ザルのような少年のほうを見ると、かれはにっ、と歯を見せて笑った。
「おいらは阿瑯《あろう》っていうんだ。奥方様をお見掛けして、助けに来たんだよ」
「まあ。ほんとうに、なんとお礼を申し上げたらよいか、わからないほどですわ」
そう口にしてから、やっと助けが来たのだということが実感できた。
ほっとして、力が抜けてくる。
泣きたくさえなってきたが、ぐっとこらえた。
劉備の妻は、めったなことでは挫けないのだ。


それにしても、男をあっさりと一撃で殺して見せる手際の良さといい、そのあとの堂々とした態度と言い、この女はかなりの修羅場をくぐりぬけてきた女だと、麋夫人は見抜いた。
自分よりかなり若いというのに、人生経験は女のほうが積んでいるというのが、落ち着きでわかる。
甘夫人《かんふじん》と同等か、それ以上の人生を歩んできた女なのかもしれない。
麋夫人は、この場は崔玉蘭についていくことに決めた。


「ほかに味方はおりますの?」
土塀の穴から外を見るが、ほかに人馬の影があるわけではなし、戦場から離れて、静かなものである。
玉蘭は、気の毒そうに顔をしかめた。
「申し訳ございません、わたくしどもだけです」
「あなたは、殿にお仕えしている方なのですか?」
細作《さいさく》かもしれないと期待しての問いだったが、玉蘭は首を横に振った。
「いいえ、残念ながらちがいます。でも、夏に玄徳さまたちに救われたひとりですわ」


夏のあいだに起こった痛ましい騒動とその顛末は、麋夫人もよく知っていた。
騒動の果てに救われた子供たちを匿《かくま》って、育てるつもりでいたほどだ。
玉蘭は救われたひとりだというが、おそらく、過去に子供たち以上に悲惨な目にあった女人なのだろう。


時と場合もかんがえて、あまり踏み込まないほうがいいと判断した麋夫人は話を変えた。
「これからどうやって殿に追いつきましょう」
「戦は小康状態になったようです。いまのうちに、ここを出ましょう。
ここから南の長阪橋までたどり着くことができたなら、玄徳さまにお会いできますよ」
「おいらたち、いったん長阪橋まで行ったんだけれど、仲間たちが心配で戻って来たんだよ」
と阿瑯が口をはさんだ。
「うちの奥様は、とっても義理堅いんだ」
玉蘭は、阿瑯に、これ、といって軽口を制した。
玉蘭の子にしては大きい子だとおもっていたが、どうやら阿瑯は、実子ではないらしい。


歩けるかしら、と麋夫人は自分の足元を見た。
豆が破れて血だらけの足である。
それでも、歩かねば、だれも助けようがないのだと覚悟を決めた。
「わかりました、玉蘭さんの言うとおりにいたします」
「玉蘭と呼び捨てにしてくださいませ。奥様の足が限界なのは見てわかります。
でもご安心ください、はぐれた馬をひそかにかくして持ってまいりました」
「まあっ、すばらしいわ」
顔を輝かせる麋夫人に、玉蘭はたのもしくうなずいた。


玉蘭の言うとおりで、廃屋の少し先の木の陰に、馬がつないであった。
麋夫人はふたりに助けられながら、馬にまたがる。
そこまで夢中だったので、はじめて気づいた。
「あなたがたはどうするのですか」
「ご心配なく、わたくしたちは徒歩で追いつきます」
でも、と言おうとしたとき、北のほうから、軍馬の群れの音が近づいているのがわかった。
まだ姿も見えなかったが、そのあまり急いでいない間隔の音からして、曹操軍の兵が、敗残兵を狩りに押し寄せてきたのだと、すぐにわかってしまった。
「幸い、この馬は大きいですし、よ、四人で」
「いいえ、それでは橋につくまえに、馬がつぶれてしまいます。
ためらっていてはいけません、おはやくご出発を」


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます!(^^)!
ん? なんだか演義とはちがう展開……?
次回をおたのしみにー!


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