「そんな書簡があったのか。兄はちっとも教えてくれなかった」
「今だから申し上げられますが、すべて策。でまかせであったのです。
ですが、『壷中』はうまくひっかかり、書簡の公表をおそれ、十余年の間、貴方さまがたご兄弟に、手を出せずにいたのです」
「なんと」
「それがしも、諸葛玄さまが亡くなれたあと、その代理として、貴方さまをお守りする所存でございました。
しかし、われらが周囲にいることで、かえって『壷中』を刺激することになる危険がございましたので、泣く泣く、いままでお別れをしていたのでございます」
老人の言葉尻をのがさず、趙雲が口をはさむ。
「軍師、やはり『壷中』はおまえを狙っているのだ」
すると、それまで、ちんまりとウサギの子のように大人しくしていた老将は、きっ、と眼差しをつよくすると、趙雲をきびしく決め付けた。
「なんと、孔明さまにむかって『おまえ』呼ばわりとは何事か、若造!」
そこでたじろぐ趙雲ではない。
傲然と胸を張り、答える。
「呼び方の問題ではなかろう。俺はそれなりに、こいつに敬意を払っているが」
「『こいつ』だと! まったくなんたる無礼な態度であろうか。最近の若造はなっておらぬ!
孔明さま、こやつが主騎の趙子龍ということは存じております。
槍の名手とかいわれて、新野ではちやほやされているようですが、斯様《かよう》な人品の卑しい男をおそばに置かれては、朱に交わるとなんとやら、あなたさまの品性までも疑われてしまいます」
孔明は、ちらりと趙雲を見ると、笑いを噛み殺しつつ、顔を真っ赤にしていきり立つ老人を、やんわりとなだめる。
「まあ、そう怒らないでやってくれないか。子龍はこれでなかなかよい男なのだよ。
正直すぎて口が過ぎるうえに、たまにとんちんかんなことを言って、わたしをまごつかせてくれるが、おおむね、信頼できる男だ」
誉められているのか、けなされているのか。
判断に迷う趙雲に、老人は、菜っ葉についた毛虫をみるような眼差しを、送ってよこす。
知己の危機におよんで逃げ出す者もいれば、知己の危機を察知して、駆けつけてくる者もいる。
この老人は、後者であるようだ。
忠義者という点では好意がもてるが、諸葛玄同様、いささか一本気にすぎる。
変わり者は変わり者を呼び寄せやすいということだろうか。
自分のことを棚に挙げて、そんなことを考えていると、ふと、肌がざわざわと粟立つような感覚をおぼえた。
そして、目だけを動かすようにして、周辺を探る。
すると、もうひとつ、草むらに隠れるようにして、じっとしている影に気が付いた。
孔明を追ってきた、『壷中』の間者か。
趙雲はだまって袖に隠していた鏢《ひょう》をこっそりと抜き出した。
ぎりぎりまで草むらを見ないように注意しながら、さっと振り向きざまに、鏢を投げた。
月光をそのまま形にしたようなその武器は、草むらの影にめがけて、燕のようにまっすぐ飛んだ。
不意をついたはず。
仕留めたか、と趙雲が身構えると同時に、きん、と鏢をなぎ払う音がした。
つづけて、影が躍り出る。
舌打ちをし、孔明を庇うようにしてその前に移動すると、剣を抜き、向かってくる相手を迎えた。
だが、影は、ざっ、と地面を蹴るようにして前へ躍り出ると、片手に剣を持ったまま、いきなり趙雲の目の前で、がばりと平伏して見せた。
「趙将軍、どうぞそれがしをお許しくださいませ!」
その声。
ひさしぶりに陽光のもとで見た男。
数日の間にひどくやつれたその姿に、趙雲は絶句した。
「斐仁《ひじん》! おまえ、どうやってここに?」
「それがしが、牢から連れ出したのだ」
老人は得意げに言う。
趙雲は、自分の血が一斉に引くのをおぼえた。
「莫迦な! 斯様なことをしたら、かえって襄陽城の人間を刺激するだけではないか!」
「だまれ、若造。その男があのまま襄陽におれば、そのうち、こっそりとくびり殺されでもするのが落ち。
孔明さま、この斐仁めは、われらを監視していた『壺中』の手先。
そして、こやつは、『壷中』を操る人間が、もっともおそれる秘密を持っている男なのでございます」
つづく
※ いつも当ブログにお越しいただき、ありがとうございます!
ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、多謝です♪
おかげさまで、毎日の活動ができています。
みなさまのご声援&ご来場が、とても励みになっておりますので、今後とも当ブログをごひいきに!
これからもがんばりまーす(^^♪
「今だから申し上げられますが、すべて策。でまかせであったのです。
ですが、『壷中』はうまくひっかかり、書簡の公表をおそれ、十余年の間、貴方さまがたご兄弟に、手を出せずにいたのです」
「なんと」
「それがしも、諸葛玄さまが亡くなれたあと、その代理として、貴方さまをお守りする所存でございました。
しかし、われらが周囲にいることで、かえって『壷中』を刺激することになる危険がございましたので、泣く泣く、いままでお別れをしていたのでございます」
老人の言葉尻をのがさず、趙雲が口をはさむ。
「軍師、やはり『壷中』はおまえを狙っているのだ」
すると、それまで、ちんまりとウサギの子のように大人しくしていた老将は、きっ、と眼差しをつよくすると、趙雲をきびしく決め付けた。
「なんと、孔明さまにむかって『おまえ』呼ばわりとは何事か、若造!」
そこでたじろぐ趙雲ではない。
傲然と胸を張り、答える。
「呼び方の問題ではなかろう。俺はそれなりに、こいつに敬意を払っているが」
「『こいつ』だと! まったくなんたる無礼な態度であろうか。最近の若造はなっておらぬ!
孔明さま、こやつが主騎の趙子龍ということは存じております。
槍の名手とかいわれて、新野ではちやほやされているようですが、斯様《かよう》な人品の卑しい男をおそばに置かれては、朱に交わるとなんとやら、あなたさまの品性までも疑われてしまいます」
孔明は、ちらりと趙雲を見ると、笑いを噛み殺しつつ、顔を真っ赤にしていきり立つ老人を、やんわりとなだめる。
「まあ、そう怒らないでやってくれないか。子龍はこれでなかなかよい男なのだよ。
正直すぎて口が過ぎるうえに、たまにとんちんかんなことを言って、わたしをまごつかせてくれるが、おおむね、信頼できる男だ」
誉められているのか、けなされているのか。
判断に迷う趙雲に、老人は、菜っ葉についた毛虫をみるような眼差しを、送ってよこす。
知己の危機におよんで逃げ出す者もいれば、知己の危機を察知して、駆けつけてくる者もいる。
この老人は、後者であるようだ。
忠義者という点では好意がもてるが、諸葛玄同様、いささか一本気にすぎる。
変わり者は変わり者を呼び寄せやすいということだろうか。
自分のことを棚に挙げて、そんなことを考えていると、ふと、肌がざわざわと粟立つような感覚をおぼえた。
そして、目だけを動かすようにして、周辺を探る。
すると、もうひとつ、草むらに隠れるようにして、じっとしている影に気が付いた。
孔明を追ってきた、『壷中』の間者か。
趙雲はだまって袖に隠していた鏢《ひょう》をこっそりと抜き出した。
ぎりぎりまで草むらを見ないように注意しながら、さっと振り向きざまに、鏢を投げた。
月光をそのまま形にしたようなその武器は、草むらの影にめがけて、燕のようにまっすぐ飛んだ。
不意をついたはず。
仕留めたか、と趙雲が身構えると同時に、きん、と鏢をなぎ払う音がした。
つづけて、影が躍り出る。
舌打ちをし、孔明を庇うようにしてその前に移動すると、剣を抜き、向かってくる相手を迎えた。
だが、影は、ざっ、と地面を蹴るようにして前へ躍り出ると、片手に剣を持ったまま、いきなり趙雲の目の前で、がばりと平伏して見せた。
「趙将軍、どうぞそれがしをお許しくださいませ!」
その声。
ひさしぶりに陽光のもとで見た男。
数日の間にひどくやつれたその姿に、趙雲は絶句した。
「斐仁《ひじん》! おまえ、どうやってここに?」
「それがしが、牢から連れ出したのだ」
老人は得意げに言う。
趙雲は、自分の血が一斉に引くのをおぼえた。
「莫迦な! 斯様なことをしたら、かえって襄陽城の人間を刺激するだけではないか!」
「だまれ、若造。その男があのまま襄陽におれば、そのうち、こっそりとくびり殺されでもするのが落ち。
孔明さま、この斐仁めは、われらを監視していた『壺中』の手先。
そして、こやつは、『壷中』を操る人間が、もっともおそれる秘密を持っている男なのでございます」
つづく
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おかげさまで、毎日の活動ができています。
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