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樊城《はんじょう》の周辺の土地の田畑で、いっせいに収穫作業がおこなわれた。
新野《しんや》の民も総出で樊城の民を手伝い、みなでけんめいに汗をかいている。
それというのも、曹操軍がやってきた場合、食料を求めて、あたりの田畑から収奪が行われる危険があったためである。
それよりは、なじみのある殿様である劉備のため、食料を先に収穫してしまったほうがよい、というのが、みなの一致した意見であった。
もちろん、樊城の民からの抵抗がなかったわけではない。
かれらからすれば、新野の民が軍勢とともに押し寄せてきたのだ。
しかもほとんどが着の身着のままで新野城から出てきたものだったから、樊城の民の世話にならねばだれもが生活が立ち行かない。
樊城の民をうまく説得したのが孔明で、民はしぶしぶではあったが、
「孔明さまがそうおっしゃるなら」
と、新野の民と共存することをゆるしてくれた。
趙雲は孔明の主騎として、民を説得するその場に立ち会ったのだが、孔明は徐州での体験談は語ろうとはしなかった。
まさに生き証人である孔明が、曹操がいかに悪辣で残虐か語れば、民はもっと早く納得しただろうにと、趙雲は思う。
だが、孔明はかたくなに徐州のことを語ろうとしなかった。
あとで、
「徐州のことをみなに聞かせれば、もっと早くに話がまとまったのではないのか」
とたずねると、孔明は苦い顔をして、
「徐州のことを武器のようにしてに語るのは、あの悲劇を小さく扱うような気がして嫌なのだ」
と答えた。
そんなこともなかろうにと趙雲は思うのだが、当事者のこころはちがうらしい。
新野の民がやってきたことで、それまで空き城だった樊城は、にわかに活気づいた。
新野の民の持ってきた銭をあてこんで、日用雑貨をあつかう商売をはじめた者もひとりやふたりではないらしい。
たがいにもめ事が起こらないよう、目を光らすのもまた、孔明と趙雲の役目であった。
曹操軍がまもなく宛《えん》を出発するだろうということは、細作《さいさく》の報告でわかっていた。
樊城は、襄陽のわずかに北にある城市である。
曹操がもののついでとばかりに、樊城を襲ってくる可能性は、おおいにあった。
そのため、劉備の号令のもと、樊城の民と新野の民は、老若男女総出で農作物の刈り入れをしている。
つぎつぎと収穫された稲穂や麦の束が、荷車に乗せられて城内に入ってくる。
金色の稲穂のにおいは、なによりもかぐわしく、腹が減るなと趙雲ですら思う。
となりにいる陳到もおなじことを考えたようで、
「偵察も終わったことですし、うまい食事にありつきたいところですなあ」
などと軽口をたたいては、荷車の運んできた稲穂や麦の重さを測る手伝いをしていた。
趙雲は、陳到とは別に、樊城の人間の出入りに目を光らせていた。
今の時点では、曹操の細作らしい怪しい人間は、領内に入り込んでいなかった。
曹操がいくら百万の軍で攻めてきたからといって、小細工をしない、というわけではない。
むしろ、新野城をめぐる攻防で怒り心頭となり、曹操が劉備と孔明の命を狙って、刺客を放ってくる可能性もあると、趙雲は心配していた。
『百万、か』
思わずこころのなかでつぶやいて、城門のそとにつづく街道の果てをみやる。
孔明は百万という数字は怪しいということを言っていたが、どちらにしろ大軍で来ることに変わりはない。
あと十日もしないうちに、街道を南にくだって、曹操軍がやってくる。
それまでに、孔明が目指しているように、ありったけの食糧と水を確保しなければならない。
趙雲は、樊城の一室に籠る孔明を思い、その執務室となっているあたりに首を向けた。
孔明はこのところ閉じこもりきりになり、なにやらせっせと書き物をしていた。
あまり座りっぱなしで籠っていてもよくなかろうから、一緒に外の空気を吸いがてら、農作物の管理をしないかと誘ってみていた。
ところが、孔明は、だめだ、とつれない返事をよこしてきた。
振り向きもせず、一心不乱になにやら書きつけている。
その背中が心配だった。
それというのも、いま、孔明は重苦しい立場に置かれていたからである。
原因は、劉備が、新野の民を連れて、襄陽まで行くのだと主張したことによる。
孔明は、軍の機動力を高めるため、新野の民とは樊城で別れるべきだと主張した。
無情と言われることを覚悟しての主張である。
ところが、案の定というべきか、劉備はそれを頑として聞かない。
理由について、
「わしを慕って付いてきてくれた者にたいし、いま別れようというのは、死ねというのと同じではなかろうか」
と語った。
どうやら劉備は、自分についてきた新野の民が、曹操の手におちた場合、きっとひどい目に遭わされるにちがいないと信じ込んでいるようである。
つづく
樊城《はんじょう》の周辺の土地の田畑で、いっせいに収穫作業がおこなわれた。
新野《しんや》の民も総出で樊城の民を手伝い、みなでけんめいに汗をかいている。
それというのも、曹操軍がやってきた場合、食料を求めて、あたりの田畑から収奪が行われる危険があったためである。
それよりは、なじみのある殿様である劉備のため、食料を先に収穫してしまったほうがよい、というのが、みなの一致した意見であった。
もちろん、樊城の民からの抵抗がなかったわけではない。
かれらからすれば、新野の民が軍勢とともに押し寄せてきたのだ。
しかもほとんどが着の身着のままで新野城から出てきたものだったから、樊城の民の世話にならねばだれもが生活が立ち行かない。
樊城の民をうまく説得したのが孔明で、民はしぶしぶではあったが、
「孔明さまがそうおっしゃるなら」
と、新野の民と共存することをゆるしてくれた。
趙雲は孔明の主騎として、民を説得するその場に立ち会ったのだが、孔明は徐州での体験談は語ろうとはしなかった。
まさに生き証人である孔明が、曹操がいかに悪辣で残虐か語れば、民はもっと早く納得しただろうにと、趙雲は思う。
だが、孔明はかたくなに徐州のことを語ろうとしなかった。
あとで、
「徐州のことをみなに聞かせれば、もっと早くに話がまとまったのではないのか」
とたずねると、孔明は苦い顔をして、
「徐州のことを武器のようにしてに語るのは、あの悲劇を小さく扱うような気がして嫌なのだ」
と答えた。
そんなこともなかろうにと趙雲は思うのだが、当事者のこころはちがうらしい。
新野の民がやってきたことで、それまで空き城だった樊城は、にわかに活気づいた。
新野の民の持ってきた銭をあてこんで、日用雑貨をあつかう商売をはじめた者もひとりやふたりではないらしい。
たがいにもめ事が起こらないよう、目を光らすのもまた、孔明と趙雲の役目であった。
曹操軍がまもなく宛《えん》を出発するだろうということは、細作《さいさく》の報告でわかっていた。
樊城は、襄陽のわずかに北にある城市である。
曹操がもののついでとばかりに、樊城を襲ってくる可能性は、おおいにあった。
そのため、劉備の号令のもと、樊城の民と新野の民は、老若男女総出で農作物の刈り入れをしている。
つぎつぎと収穫された稲穂や麦の束が、荷車に乗せられて城内に入ってくる。
金色の稲穂のにおいは、なによりもかぐわしく、腹が減るなと趙雲ですら思う。
となりにいる陳到もおなじことを考えたようで、
「偵察も終わったことですし、うまい食事にありつきたいところですなあ」
などと軽口をたたいては、荷車の運んできた稲穂や麦の重さを測る手伝いをしていた。
趙雲は、陳到とは別に、樊城の人間の出入りに目を光らせていた。
今の時点では、曹操の細作らしい怪しい人間は、領内に入り込んでいなかった。
曹操がいくら百万の軍で攻めてきたからといって、小細工をしない、というわけではない。
むしろ、新野城をめぐる攻防で怒り心頭となり、曹操が劉備と孔明の命を狙って、刺客を放ってくる可能性もあると、趙雲は心配していた。
『百万、か』
思わずこころのなかでつぶやいて、城門のそとにつづく街道の果てをみやる。
孔明は百万という数字は怪しいということを言っていたが、どちらにしろ大軍で来ることに変わりはない。
あと十日もしないうちに、街道を南にくだって、曹操軍がやってくる。
それまでに、孔明が目指しているように、ありったけの食糧と水を確保しなければならない。
趙雲は、樊城の一室に籠る孔明を思い、その執務室となっているあたりに首を向けた。
孔明はこのところ閉じこもりきりになり、なにやらせっせと書き物をしていた。
あまり座りっぱなしで籠っていてもよくなかろうから、一緒に外の空気を吸いがてら、農作物の管理をしないかと誘ってみていた。
ところが、孔明は、だめだ、とつれない返事をよこしてきた。
振り向きもせず、一心不乱になにやら書きつけている。
その背中が心配だった。
それというのも、いま、孔明は重苦しい立場に置かれていたからである。
原因は、劉備が、新野の民を連れて、襄陽まで行くのだと主張したことによる。
孔明は、軍の機動力を高めるため、新野の民とは樊城で別れるべきだと主張した。
無情と言われることを覚悟しての主張である。
ところが、案の定というべきか、劉備はそれを頑として聞かない。
理由について、
「わしを慕って付いてきてくれた者にたいし、いま別れようというのは、死ねというのと同じではなかろうか」
と語った。
どうやら劉備は、自分についてきた新野の民が、曹操の手におちた場合、きっとひどい目に遭わされるにちがいないと信じ込んでいるようである。
つづく
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本日より三章に突入しました。
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