「あの者は、まだ少年なのか?」
「そうですよ。すっかり姿を変えられてしまいましたがね。
曹操の動きを探るために鄴《ぎょう》に送られたけれど、そこでどうしてか正体がばれた。
あの子が曹操に捕らわれたあと、どんな目に遭ったのかはわかりません。
しかし送り返されてきたとき、あの子は完全に抜け殻になっていた。
命だけを救って、送り返してきたのは、見せしめのためですよ。
曹操は、噂にたがわぬ冷酷な男。どんな底辺の者にも容赦がない。
もっと容赦がないのは壺中か。あの子は任務に失敗した咎《とが》で、今日まで我らも知らない牢に入れられていたのです。大した待遇でしょう。
別人になって帰ってきたあの子を見たときに、わたしたちは理解したのです。
もはや、誰も我々を助けてくれはしない。
劉表も潘季鵬《はんきほう》も、われらを使い捨てにするだけだと。
わたしたちだってバカじゃない。
むしろ、劉表や、下手をするとあなたよりも世の中の動きに詳しい。
荊州がどのような状況にあるのか、理解しています。
劉表はわたしたちに言った。曹操がやってきたら、総員でこれにあたり、玉砕せよ、と。
そんな命令がありますか。戦術なんてものは欠片もない。
あなたも見たとおり、あの男は病んでいる。
自分の世界に閉じこもって、人をなぶることしか考えていない化け物なのです。
潘季鵬も潘季鵬で、劉表を見限るのはよいけれど、自分たちだけがうまく荊州から脱出できるように、わたしたちを目くらましにしようとしている。
さんざん、劉表へ恩返しをせよとわたしたちに言い聞かせてきた男が、ふざけているとは思いませんか。
しかも、前の主人である公孫瓚を殺していたなんて、いままでひと言もわたしたちには言わなかった。
それどころか、亡国の主を最後まで守ったのが自分だと、嘯《うそぶ》いていたのですよ。
汚い嘘で固められた狂人。それが潘季鵬なのです」
花安英は憎憎しげに吐き捨てたが、紙燭の明かりに浮かび上がるその美しい双眸は、意外なほどに理智的であった。
狂った少年のそれではない。
趙雲の話からすれば、この美少年の行動は支離滅裂な印象しか与えなかったが、こうして対峙してみると、仲間たちを救おうと必死になっているように見えてくる。
華奢な外見に似合わず、侠気があるようだ。
とはいえ、趙雲が嘘をついているとか、誇張をしているわけではなく、奇妙な振る舞いをしているのも、まちがいなく花安英という少年なのだ。
そうして、この地下の部屋で奇妙な祭壇をつくって、『だれか』を復活させようとしている少年も。
「君はわたしを嫌っていたはずだが、なぜ、いまになってわたしを助けてくれるのだ?」
「思い上がらないでください。あなたを頼りたくなんかないんだ。
ただ、あなたは劉州牧に、潘季鵬が叛乱を起こしていることを伝えなかった。
もし伝えていたなら、劉州牧は、弟たちをすぐに殺していたでしょう。
あなたはちゃんとそれを見越して、拷問にかけられる寸前でも、保身のためにそのことを口にしようとはしなかった。だからです。
それに、程子文が、もしも自分たちだけでは、どうにもならなくなったら、あなたを頼れと、そう言っていたから」
「子文が…そうか。わかった。わたしを信じてくれたぶん、等価を与えよう。
特に君には、命を救われたわけだからな」
そう言うと、花安英は、皮肉げに唇をゆがめる。
「だからといって、あなたと馴《な》れ合いになるつもりはない。わたしの頼みは、別なところにある。聞いてくださるでしょうね?」
「頼みにもよるな」
答えつつ、孔明は、相手の目をじっと見る。
奇妙な思いに囚われた。
この少年が、もし諸葛玄という存在がなければ、こうなっていたかもしれないという自分自身に見えたのだ。
それまで、孔明は、花安英という少年が苦手であった。
孔明がひそかに気にしている短所、男らしさの不足した、華奢すぎる容貌を、この少年が武器にしているのを見るのが、いやだった。
自分も開き直って武器にしているが、傍《はた》から見れば、こんなふうかと客観視させるところがいやであった。
意固地なところが、変に似ているのもいやだった。
だが、その背景に至るまで似ているのに気づけば、同情ともちがう、なにか連帯感のようなものが生じた。
兄が、弟に寄せる気持ちのようなものだ。
この少年を修羅の世界から救い出してやりたい。
そう思って、何気なく、背後にある小棚に手をかける。
そうして、はからずも、祭壇に飾られていた供物に手が触れてしまった。
女たちの装飾品。
無残に切り裂かれた女たちの。
ぞおっと、臓腑を凍らせるような悪寒が全身をつらぬいた。
身震いをするのを懸命にこらえる。
孔明は、自分の悪い癖を思い出した。
情に流されすぎてはならない。
この少年は、『壷中』の犠牲者というだけではない。
常軌を逸した、殺人狂でもあるのだ。
こいつが『狗屠《くと》』なのだ。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます!!
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、感謝です、うれしいです♪
今日はまた出かける予定があります(美容院)が、帰ってきて余裕があったら、近況報告などさせていただこうかと思っています。
そのときは、どうぞよしなに!
くわしい現状は近況報告でさせていただきますねv
でもって、おかげさまで連載も順調。
はなしはまーだまだ続きます、今後の展開もおたのしみに!
「そうですよ。すっかり姿を変えられてしまいましたがね。
曹操の動きを探るために鄴《ぎょう》に送られたけれど、そこでどうしてか正体がばれた。
あの子が曹操に捕らわれたあと、どんな目に遭ったのかはわかりません。
しかし送り返されてきたとき、あの子は完全に抜け殻になっていた。
命だけを救って、送り返してきたのは、見せしめのためですよ。
曹操は、噂にたがわぬ冷酷な男。どんな底辺の者にも容赦がない。
もっと容赦がないのは壺中か。あの子は任務に失敗した咎《とが》で、今日まで我らも知らない牢に入れられていたのです。大した待遇でしょう。
別人になって帰ってきたあの子を見たときに、わたしたちは理解したのです。
もはや、誰も我々を助けてくれはしない。
劉表も潘季鵬《はんきほう》も、われらを使い捨てにするだけだと。
わたしたちだってバカじゃない。
むしろ、劉表や、下手をするとあなたよりも世の中の動きに詳しい。
荊州がどのような状況にあるのか、理解しています。
劉表はわたしたちに言った。曹操がやってきたら、総員でこれにあたり、玉砕せよ、と。
そんな命令がありますか。戦術なんてものは欠片もない。
あなたも見たとおり、あの男は病んでいる。
自分の世界に閉じこもって、人をなぶることしか考えていない化け物なのです。
潘季鵬も潘季鵬で、劉表を見限るのはよいけれど、自分たちだけがうまく荊州から脱出できるように、わたしたちを目くらましにしようとしている。
さんざん、劉表へ恩返しをせよとわたしたちに言い聞かせてきた男が、ふざけているとは思いませんか。
しかも、前の主人である公孫瓚を殺していたなんて、いままでひと言もわたしたちには言わなかった。
それどころか、亡国の主を最後まで守ったのが自分だと、嘯《うそぶ》いていたのですよ。
汚い嘘で固められた狂人。それが潘季鵬なのです」
花安英は憎憎しげに吐き捨てたが、紙燭の明かりに浮かび上がるその美しい双眸は、意外なほどに理智的であった。
狂った少年のそれではない。
趙雲の話からすれば、この美少年の行動は支離滅裂な印象しか与えなかったが、こうして対峙してみると、仲間たちを救おうと必死になっているように見えてくる。
華奢な外見に似合わず、侠気があるようだ。
とはいえ、趙雲が嘘をついているとか、誇張をしているわけではなく、奇妙な振る舞いをしているのも、まちがいなく花安英という少年なのだ。
そうして、この地下の部屋で奇妙な祭壇をつくって、『だれか』を復活させようとしている少年も。
「君はわたしを嫌っていたはずだが、なぜ、いまになってわたしを助けてくれるのだ?」
「思い上がらないでください。あなたを頼りたくなんかないんだ。
ただ、あなたは劉州牧に、潘季鵬が叛乱を起こしていることを伝えなかった。
もし伝えていたなら、劉州牧は、弟たちをすぐに殺していたでしょう。
あなたはちゃんとそれを見越して、拷問にかけられる寸前でも、保身のためにそのことを口にしようとはしなかった。だからです。
それに、程子文が、もしも自分たちだけでは、どうにもならなくなったら、あなたを頼れと、そう言っていたから」
「子文が…そうか。わかった。わたしを信じてくれたぶん、等価を与えよう。
特に君には、命を救われたわけだからな」
そう言うと、花安英は、皮肉げに唇をゆがめる。
「だからといって、あなたと馴《な》れ合いになるつもりはない。わたしの頼みは、別なところにある。聞いてくださるでしょうね?」
「頼みにもよるな」
答えつつ、孔明は、相手の目をじっと見る。
奇妙な思いに囚われた。
この少年が、もし諸葛玄という存在がなければ、こうなっていたかもしれないという自分自身に見えたのだ。
それまで、孔明は、花安英という少年が苦手であった。
孔明がひそかに気にしている短所、男らしさの不足した、華奢すぎる容貌を、この少年が武器にしているのを見るのが、いやだった。
自分も開き直って武器にしているが、傍《はた》から見れば、こんなふうかと客観視させるところがいやであった。
意固地なところが、変に似ているのもいやだった。
だが、その背景に至るまで似ているのに気づけば、同情ともちがう、なにか連帯感のようなものが生じた。
兄が、弟に寄せる気持ちのようなものだ。
この少年を修羅の世界から救い出してやりたい。
そう思って、何気なく、背後にある小棚に手をかける。
そうして、はからずも、祭壇に飾られていた供物に手が触れてしまった。
女たちの装飾品。
無残に切り裂かれた女たちの。
ぞおっと、臓腑を凍らせるような悪寒が全身をつらぬいた。
身震いをするのを懸命にこらえる。
孔明は、自分の悪い癖を思い出した。
情に流されすぎてはならない。
この少年は、『壷中』の犠牲者というだけではない。
常軌を逸した、殺人狂でもあるのだ。
こいつが『狗屠《くと》』なのだ。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます!!
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、感謝です、うれしいです♪
今日はまた出かける予定があります(美容院)が、帰ってきて余裕があったら、近況報告などさせていただこうかと思っています。
そのときは、どうぞよしなに!
くわしい現状は近況報告でさせていただきますねv
でもって、おかげさまで連載も順調。
はなしはまーだまだ続きます、今後の展開もおたのしみに!