帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔三十六〕せちは

2011-04-03 00:20:18 | 古典

 




                               帯とけの枕草子〔三十六〕せちは



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十六〕せちは

 
 せちは、五月にしく月はなし、さうふ、よもぎなどのかほりあひたる、いみじうおかし。
 
(節句は五月に及ぶ月はない。菖蒲、蓬などが香りあっている、とっても趣がある……ひたすらなのは、さつきに及ぶつきはない、想夫、繁る草などが、か掘り合っている、とってもおかしい)。

九重の内をはじめ、名も知らぬ民の住む処まで、なんとか我のもとに(菖蒲を…想夫を)繁々と葺こうと、すみかに・挿し広げている。やはりとってもおかしい、いつ他の折りに、こんなことするか。


 言の戯れと言の心

「せち…節…節句…切…ひたすら…しきり」「さつき…五月…さ突き」「さ…美称」「つき…月…月人壮士…おとこ…突き」「さうふ…菖蒲…想夫…女の思い人」「よもぎ…蓬…草…女…荒れた庭」「かほり…香り…下掘り…井ほり、川ほりと同じくまぐあい」。



 空の気色、曇りわたりたるに(空の様子、曇り続けている時に…女の気色くもり続いているので)、中宮などには、縫殿より御薬玉といって色々の糸を組み垂らして、差し上げるので、御帳立ててある母屋の柱に、あちこちに取付けてある。

九月九日の菊を綺麗な生絹に包んでさし上げてあるのを同じ柱に結び付けて、数カ月になるのは、薬玉に取り替えて捨てるようである。それに、薬玉は(次の)菊の頃まであるべきなのでは。皆が糸を引取って縫物にして、しばしの間もない。

 言の戯れと言の心

 「空…天…あめ…あま…女」「けしき…景色…気色…天気…女の気持ち」



 御節供の膳をさしあげ、若い人たちは、菖蒲を腰に付け、物忌札付けたりして、さまざまの唐衣や汗衫などに、おかしきをりえだどもながきね(おかしな折枝や長い根…おとこの折れた身の枝など長い根)に、むら濃染の組糸で結びつけてあるのなど、すばらしいとばかり言うべきことでないが、いとをかし(とってもおかしい)。ところで、春(張る)毎に咲くからといって、桜(おとこ花)を、よろしう(まあ普通ね)と思う女なんているかしら。


 地べたを歩きまわる女の子などが、身の程に(菖蒲、折り枝、根…壮夫、折枝、長根など)付けてもらって、いっぱい飾りつけたわと思って、つねに袂を気にかけて、他の子と比べたり、言い表せないほどかっこいいわと思っているのを、そばへた(ふざけている…そばを通った)小舎人童(男の子)に引き取られて泣くのも、おかし(かわいい)。


 紫の紙に棟の花を、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて結び、また白い紙を根で引き結んであるのも、おかし(趣がある…おかしい)。たいそう長い根を手紙の中に入れたりしてあるのを見る心地は、えんなり(艶っぽいのである)。返事を書こうと言い合わせ(文と根を女たちが)見せ合ったりするのも、いとをかし(とってもおかしい)。


 人の娘や、やんごとなき所々に御文などさしあげておられる人も、今日は心が殊に、なまめかし(艶めかしい)。


 夕暮れのころ、郭公が名を告げ(ほと伽す、且つ恋う、且つ乞う)と飛んでいるのも、すべていみじき(全く普通ではない)。


 言の戯れと言の心

「春…季節の春…春情…張る」「桜…男花…おとこ花」「枝…身の枝…おとこ」「根…おとこ」「郭公…ほととぎす…かっこうと鳴く鳥…且つ恋う…且つ乞う」「鳥…女」。



 枕草子は、「言の心」を心得たおとなの女たちの、曇り暮らすのを慰めるための読み物。心幼き者や、言の戯れさえ知らぬ大真面目な人々は、この言語圏外の人で「聞き耳」を異にしているので、永遠に「おかし」と共感することは無いでしょう。



 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)

 

 枕草子の原文は、新日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による