帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔四十三〕ほそどのに

2011-04-13 00:07:40 | 古典

 


                                           帯とけの枕草子〔四十三〕ほそどのに



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。

  清少納言 枕草子〔四十三〕ほそどのに

ほそどのに人あまたゐて、やすからず物などいふに、きよげなる男、ことねりはらわなど、よきつゝみふくろなどに、きぬどもつつみて、さしぬきのくくりなどぞみえたる、ゆみや、たてなどもてありくに、たがぞととへば、ついゐて、なにがしどののとて、ゆくものはよし、けしきばみ、やさしがりて、しらずともいひ、ものもいはでいぬるものは、いみじうにくし。

 文の清げな姿
 
 細殿に人が多く居て、穏やかではなくものを言っているときに、姿清げな男や小舎人童などが、品の良い包みや袋などに衣などを包んで、指貫の括り緒が見えている。弓、矢、盾など持って歩くので、「誰のものよ」と問えば、かしこまって、「誰々殿のものです」と言って行く者は良い、顔色に表して恥ずかしがって、「知らない」と言ったり、ものも言わずに行った者は、まったく気にいらない。

 心におかしきところ
 
 女房の局に女たちが多く居て、重苦しくものを言っているときに、きよげなる(身なりの整った…良き主人の居る)男や小舎人童などが、品の良い包みや袋などに衣等を包んで、差し抜きの九繰り・お、見えている、弓やたてなど(武器…つわもの)持って歩くので、「誰のものよ」と問えば、かしこまって、「誰々の殿のものです」と言って行く者は好い(笑いの種にはなる)、気色ばみ、気遣って、「知らず」と言ったり、ものも言わずに行った者は、まったく不快である。


 言の戯れと言の心
 
 「やすからず…穏やかでは無い…軽くは無い…のどかでは無い」「さしぬきのくゝり…指貫のすその括り(緒)…さし抜きの九繰り…さしぬきを多く繰り返すお…よきおとこ」「く…九…十に近い数…ほぼ十分な数」「くり…繰り…繰り返す」「ゆみやたてなど…弓、矢、盾など…武器…つわもの…弓や立てなど…おとこ」「殿…貴人の家…との…主人をさしていう語…男…女」「やさしがりて…周囲を気遣って…主人を気遣って…恥ずかしがって」「にくし…気に入らない…奇妙である…不快である」。


 何か騒動が起きている、普段は戦の用意の無い文官の主人に衣服や武器を運んでいることは明らか。
誰のものかという問いに応えない、最低限の情報さえ得られないので、にくし(不快)と思えた事実を記してあると読める。
 この文に添えてある「心におかしきところ」は、「差しぬきの九繰るおが見える、よきおとこね、誰のものなのか?」「何々殿の――」。穏やかではない情況を、軽く、明るく装うためである。


 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)


 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による