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帯とけの枕草子〔五十五〕わかき人
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔五十五〕わかき人
わかき人、ちごどもなどは、こえたるよし。ずりやうなど、おとなだちぬるも、ふくらかなるぞよき。
清げな姿
若い人、乳児などは、肥えているのがいい。受領など大人であるものも、ふっくらしているのがいい。
心におかしきところ
若い女、乳御は豊かなのがいい、す料など、おとなとなったのも、ふっくらなのがいい。
言の戯れと言の心
「人…人々…女」「ちごどもなど…乳児たち…乳御ども」「ども…親しみ示す…二つあるので複数を示す」「など…他にも意味があることを示している」「御…女の敬称」「ずりやう…受領…国守…受け継いで治める…受け入れておさめる…女…す料…女の品」「す…すしすしあわび(土佐日記)のす…洲…女」「りやう…りよう…れう…料…用品…そのための物」「おとなだちぬる…大人である…おとめ子ではなくなった」「ふくらか…膨らか…かっぷくが有る…豊満である」。
おとなの女たちが聞いて微笑み「そうよね」といえば、この文の趣旨は伝わったといえる。
今の人々には「心におかしきところ」が消えて聞こえない。この時代の表現方法を見失っているためである。「清げな姿」だけでは、共感するどころか味気ない文でしょう。
このような表現方法、同じ言葉であっても聞き耳により意味の異なる言葉で、複数の趣旨を表すのは、和歌と同じ方法で新しいわざではない。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず(2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による