帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔五十五〕わかき人

2011-04-27 00:07:23 | 古典

 



                            帯とけの枕草子〔五十五〕わかき人



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔五十五〕わかき人


 
わかき人、ちごどもなどは、こえたるよし。ずりやうなど、おとなだちぬるも、ふくらかなるぞよき。


  清げな姿
 
若い人、乳児などは、肥えているのがいい。受領など大人であるものも、ふっくらしているのがいい。


 心におかしきところ

若い女、乳御は豊かなのがいい、す料など、おとなとなったのも、ふっくらなのがいい。


 言の戯れと言の心

「人…人々…女」「ちごどもなど…乳児たち…乳御ども」「ども…親しみ示す…二つあるので複数を示す」「など…他にも意味があることを示している」「御…女の敬称」「ずりやう…受領…国守…受け継いで治める…受け入れておさめる…女…す料…女の品」「す…すしすしあわび(土佐日記)のす…洲…女」「りやう…りよう…れう…料…用品…そのための物」「おとなだちぬる…大人である…おとめ子ではなくなった」「ふくらか…膨らか…かっぷくが有る…豊満である」。

 

 

おとなの女たちが聞いて微笑み「そうよね」といえば、この文の趣旨は伝わったといえる。


 今の人々には「心におかしきところ」が消えて聞こえない。この時代の表現方法を見失っているためである。「清げな姿」だけでは、共感するどころか味気ない文でしょう。

 

このような表現方法、同じ言葉であっても聞き耳により意味の異なる言葉で、複数の趣旨を表すのは、和歌と同じ方法で新しいわざではない。

 


 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず(2015・8月、改定しました)

 
枕草子の原文は、新日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による