帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔三十七〕花の木ならぬは

2011-04-04 00:26:10 | 古典

  



                     帯とけの枕草子〔三十七〕花の木ならぬは 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
 



 清少納言 枕草子〔三十七〕花の木ならぬは 

 
 花の木ならぬは、かつら、ごえう(花の木でないのは、桂、五葉松…お花の気成らぬは、かつらご要の女)。 

たそばの木、品のない感じするけれど、花の木々が散り果てて一様に緑になっている中に、時もわきまえず(秋でもないのに色づいて)、濃い紅葉が艶やかで、思いもかけぬ青葉の中よりさし出ている、珍しい。 

まゆみ(真弓の木…真に弓なりのもの)、さらにもいはず(これ以上は言わない)。それほどのものではないけれど、やどり木という名いとあはれなり(宿り木という名とっても哀れである…寄生する木という名とってもあわれである)。


 言の戯れと言の心

「花の木…男花の木…お花の気」「木…こ…おとこ」「かつら…桂…葛…蔓…鬘」「ま弓…真に弓張りのもの…おとこ」「ごえう…五葉…五葉松…ご要…必要とする…ご用…入用とする…鬘を必要としたのは、わたしのこと、ちぢれ髪なので短くしていて時に鬘を着けていた、言いふらすべきことでは無いけれど、あだ名は、かつらぎのかみ(葛城の神…鬘着の上)だった、明るいのが苦手なわけはわかるでしょう」「ご…御…女の敬称…期…時」「松…待つ…女」「やどり…旅の宿り…やどりの権の守(待機中の定員外の国守)など」。

 

 
 さか木(榊)、臨時の祭の御神楽のときなど、いとおかし(とっても趣がある)。世に木々はあれど、神(かみ…上…女)の御前のものとして生えはじめたらしいのも、とりわきておかし(とりわけすばらしい)。

 くすの木(楠)は、木立多くある所にはとくに混じって立っていない。孤立したおどろおどろしい思いなどうとましいよ、千枝にわかれて(千々に乱れた枝ぶりで)、恋いする人の例に言われているのこそ、誰が枝を数え知って言い始めたのかしらと思うと、おかしけれ(おかしいことよ)。

 ひのき(檜)、また、身近にないものだけれど、「三葉四葉の殿づくり」(催馬楽)というのもおかしい。「五月に雨の声をまなぶらん」も、あはれなり(哀れである…なつかしい)。

 かえでの木(楓)が、小さいのに萌え出る葉の末が赤味をおびて、同じ形に広がっている葉の様子、花もひどく頼りなさそうで、虫などの干からびたのに似て、おかし(おかしい)。

 あすはひの木(明日は檜、あすなろの木)、この世で近くは見聞きしない。御嶽に詣でて帰る人などが求めて来るらしい。枝ぶりなどは手を触れにくそうだけれど、何の心があって、あすはひの木と名づけたのでしょう。あぢきなきかねごと(無意味な予言…むなしい約束の言葉)なのか、成りたいと誰かに頼んでいるのかなと思うと、きかまほしくおかし(聞きたくておかしい)。

 ねずもちの木、人並みなみなになるべき(擬人化するべき木)ではないけれど、葉が極く細くて小さいのが、おをかしき也(かわいいのである)。

 あふちの木(棟…合うちのき)。山たちばな(山橘…山ば絶ちのお花)。山なしの木(山梨の木…山ば無しの氣)。

しゐの木(椎)。常盤の木はあちこちにあるけれども、これが、はがへせぬ(葉替えしない…心変わりしない)例に言われているのも、おかし(おかしい)。

 白樫というものは、まして深い山の木のなかでも遠い感じがして、三位、二位の、うえの衣(袍)を染めるときだけに、葉ぐらい人は見るでしょう、おかしいこと愛でたいことにとりあげるべきでないけれど、(葉の裏白く)どこからともなく雪が降り積もっているように見まちがい、すさのおのみことが出雲の国にいらっしゃる御事を思って、人麿が詠んだ歌などを思うと、いみじくあはれなり(とっても感慨深いのである)。

 折々に応じて、一節あわれともおかしいとも聞きおいたものは、草、木、鳥、虫も、おろかにこそおぼえね(いいかげんには思えない)。

 

言の戯れと言の心

 「木…男…氣」。「催馬楽……この殿は、むべも、むべも富みけり、さきくさの、あはれ、さきくさの、はれ、さきくさの、三つ葉四つ葉の、殿つくりせり、殿つくりせり」「殿…との…いへ…門の…女」「富む…お盛ん」「さきくさ…さき草…さきん発ち女…咲き草…咲くおんな花」「草…女」「葉…端…身の端」「殿つくり…門のつくり…こづくり」。「一本檜のよう、終夜、さみだれの音を聞きながら独り学ぶ・あわれ」。

「すさのおのみこと……姉あまてらすおおみかみを困らせた暴れ者であった。あるとき出雲の国に八雲の立つのを見て、いつもいつも立つ心の雲(煩わしくも立つ激情など心のもやもや)を、八重垣に囲んで愛する妻のようにそれを妻籠もらせておくべき宮を、ここに造ろうと決心された。そのときの御歌、八雲立ついづも八重垣つまごめに八重垣つくるその八重垣を、これが、この国のみそひともじの初めである(古今集仮名序)……すさのおのみこと出雲の国におはしける御ことである」。「これを思って、歌の聖柿本人麿が出雲の国で詠んだ歌……あしひきの山地も知らず白樫の枝にも葉にも雪の降れれば(あしひきの山路も知れないほどに、白樫の枝にも葉にも雪が降り積もっているのであれば、これであろう・男の思いとは……あの山ばへのみちも知れないほどに、白樫の枝にも端にも白ゆきが降っているのであれば・これが男の思いなのか)拾遺集冬」「白かし…白い男木」「白雪…白ゆき…男の情念…男の残念」。


 歌のひじり人麿には、「白樫に降る白雪」が男すさのおの激情の念とも、人の煩悩とも見えたのでしょう。


 

 ゆづり葉(老いて譲るという葉…弓弦の端)が、とってもふくよかで艶っぽく、とっても青く清げで、意外にも、似つかわしくない茎の真っ赤できらきらしく見えるのは、あやしけれどおかし(変だけれどごりっぱ)。常の月には見かけないものが、師走のつもごりのみ時めいて、亡き人のお供えものに敷くものなのかと感心するのに、それに年齢を延ばす「はがため」の品として使うのはどうも。いつの世にか「紅葉せん世や(紅葉するだろう世や…飽き満ち足りるであろう夜や)」と、いひたるもたのもし(言ったのも頼もしい)。

 かしは木(柏木)、いとおかし(とってもおもしろい)。葉守の神(端守りの神)がいらっしゃるらしいのもおそれおおい。兵衛の督、佐、尉などを、柏木というのも、おかし(おもしろい)。

 姿なけれど(姿は清げでないけれど)、すろの木(しゅろ・棕櫚)、唐風で悪い家のものとは見えない。

 

言の戯れと言の心

「紅葉せむよやの歌……旅人に宿かすが野のゆづる葉の 紅葉せむ世や君を忘れむ(旅人に宿貸す春日野のゆづる葉の、紅葉する秋の夜や、君を忘れるでしょうか……旅人にやど貸すが野の弓弦破の飽き満ち足りる夜だこと、夫を忘れそう)古今六帖、このように言わせる男は頼もしい」「やどかす…や門貸す…女の身をまかす」「ゆづるは…譲る葉…弓弦破(ぴんと張っている弦がきれるような声)」「は…身の端…破…高音…高いお声」「もみじ…秋…も見じ…飽き満ち足る」。

 


 もとより言葉の孕んでいる意味の多様性のおかしさを楽しむもの。言の心を心得て、事の情のわかるおとなは、おかしいでしょう。


 
 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)

 

 

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による