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帯とけの枕草子〔四十〕むしは
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔四十〕むしは
むしは、鈴むし、ひぐらし、てふ、松むし、きりぎりす、はたおり、われから、ひをむし、蛍。
(虫は、鈴虫、蜩、蝶、松虫、きりぎりす、はたおり、割殻、氷魚虫、蛍……腹の虫は、すすむし、一日中という待つむし、胸きりきりす、はたと折り、我から、弱むし、ほ垂る)。
言の戯れと言の心
「むし…虫…心身の奥底にある感情…心身の奥に棲む虫…腹の虫など」「す…女…おんな」「ひぐらし…蜩…日暮し…一日中」「てふ…蝶…と言う」「松…待つ…女」「きりぎりす…きりきりする…痛む…苦しい」「はたおり…虫の名…また折る…やっぱり折る」「折…逝」「われから…割殻…虫の名…我から…自ら」「ひをむし…氷魚虫…いかにも弱々しい小魚の名の付いた虫」「折り…逝き」。
みのむし(蓑虫…身のむし)、とってもあわれである。おにのうみければ(鬼が生んだので…男似が倦んだので)、親に似てこれも、おそろしき心(恐ろしい心…ひとを不安にする心)があるだろうと、おやのあやしい皮衣着せて、「今に、秋風(女にも飽風)の吹く折りが来るだろう、待てよ」と言いおいて、他人の世界に身のむし残しておやは・逃げて逝ったのも知らず、子のむしは風の音を聞き知って、はづき(八月…八つき)ばかりになったので、「ちゝよ、ちゝよ(父よ、遅々よ、飽きはまだなのか)」とはかなげに泣く、いみじう哀也(とっても哀れである)。
言の戯れと言の心
「うみ…生み…倦み…いやになる…うんざりする」
ぬかづき虫、またあわれである。さる(そのような弱い)心地に道心おこして、額突きまわるのでしょうよ。思いがけず暗いところなどで、ほとめきありきたるこそおかしけれ(とぼとぼと歩いているのこそおかしいことよ……ほとめいて歩いているのこそかわいいことよ)。
言の戯れと言の心
「ぬかづき…ひれ伏し床に額をつける…お垂る」「ほとめき…とぼとぼと…陰めき」。
はへ(蝿)ほど、にくき物のうちに入れてしまうべき愛嬌のないものは他にあるかしら。人々しうかたき(擬人化して敵)にすべき大きさではないけれど。秋など(飽きたというのに)、ただよろずの物にいて、顔などに濡れた足で居たのなどよ。人の名につきたる(人の名に付いたの…人の汝に着いたの)、いとうとまし(まったく疎ましい)。
言の戯れと言の心
「名…な…汝…親しみを込めて、おまえ」。
夏虫、いとおかしう、らうたげ也(とっても趣があってかわいいのである)。灯火を近くにとり寄せて、物語など見るとき、さうしのうへなど(草子の上…双肢の上)で跳び歩く、いとおかし(とってもおかしい)。
言の戯れと言の心
「夏…なつ…撫づ…懐つ」。
ありは、いとにくけれど、かろびいみじうて、水のうへなどを、たゞあゆみにあゆみありくこそ、おかしけれ(蟻は、とってもにくらしいけれど、軽さはたいしたもので、水の上を、そのまま歩きまわるのこそ、趣があることよ……在りは、かくべつで感心するけれど、心の軽さひどく、をみなの上を、ただあゆみまわるのは、おもしろいことよ)。
言の戯れと言の心
「あり…蟻…在り…在原…業平」「水…女」「上…女」「あゆみありく…歩き回る…女遍歴する…伊勢物語を一読すれば明らかでしょう」。
おとなの女はそれなりに楽しめるでしょう。
追い詰められ苦盛り暮らしているときにこそ、笑って心晴らすために、このような文芸はある。
伝授 清原のおうな
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による