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帯とけの枕草子〔五十二〕牛飼は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔五十二〕うしかひは
うしかひは、おほきにて、かみあららかなるが、かほあかみて、かどかどしげなる。
文の清げな姿
牛飼は、大きくて、髪ぼさぼさと乱れているのが、顔赤みて角張っている。
心におかしきところ
憂し貝は、おおきにて、下身、荒れみだれたのが、おもて赤みて、ぎすぎすしている。
言の戯れと、紀貫之が心得よという「言の心」
「うしかひ…牛飼…牛を飼い使う人…憂し貝…憂し交い」「うし…牛…憂し…いやだ…うっとしい」「かひ…貝…峡…女」「かほ…顔…面…容貌」「かみ…髪…下身」「おほき…大き…多き…多情」「あららか…荒ら荒らしい…もじゃもじゃ…ぼさぼさ」「赤…元気色」「かどかどし…角角しい…ぎすぎすしている」。
紀貫之は土佐日記で、「貝」という言葉の言の心を教示している。
土佐日記 正月十三日
女これかれ、ゆあみ(沐浴)などせむとて、辺りのよろしき処に下りて行く。―略―、舟に乗り始めし日より、舟には紅濃く良き衣着ず。それは、海の神に怖ぢてと言ひて(なのに)、何のあし(葦…脚)かげにことづけて、「ほやの妻の貽すしすしあわび」をぞ、心にもあらぬ、(衣を)脛まで上げて、(海神に)見せける。
こうして「かひ」の「言の心」が女性であることを学ぶ。歌などでも「かひ」は同じ言の心で詠まれてある。
万葉集 巻第二挽歌 柿本朝臣人麻呂死せる時、妻依羅娘子の作る歌
且今日今日と吾が待つ君は石川の 貝に交じりて有りと言わずやも
(今日か今日かと、わが待つ君は、その辺りの女に交わっている、健在だと・言わないか、誰か・言ってくれ……京よ京よと、わが待つ君は、その辺のかいと交わって居るよと言わないか、そう言っておくれよ)。
「今日…けふ…京…山の頂上…期日などの果て…ものの極み」「石川…ありふれた川の名…その辺の女」「石…岩…女」「川…水…女」「貝…かひ…峡…女性」「やも…詠嘆を含む反語の意を表す」。
人麻呂の死を知らされた時の、帰宅の日を待ち続けていた妻の悲痛な叫び声が聞こえるでしょう。
枕草子の「うしかひ」を「牛飼」と決め付けてしまっては、「心におかしきところ」が消えてしまう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による