帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔五十二〕牛飼は

2011-04-23 00:17:33 | 古典

   




                     帯とけの枕草子〔五十二〕牛飼は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔五十二〕うしかひは

 

うしかひは、おほきにて、かみあららかなるが、かほあかみて、かどかどしげなる。


  文の清げな姿
 
牛飼は、大きくて、髪ぼさぼさと乱れているのが、顔赤みて角張っている。


 心におかしきところ

憂し貝は、おおきにて、下身、荒れみだれたのが、おもて赤みて、ぎすぎすしている。


 言の戯れと、紀貫之が心得よという「言の心」

「うしかひ…牛飼…牛を飼い使う人…憂し貝…憂し交い」「うし…牛…憂し…いやだ…うっとしい」「かひ…貝…峡…女」「かほ…顔…面…容貌」「かみ…髪…下身」「おほき…大き…多き…多情」「あららか…荒ら荒らしい…もじゃもじゃ…ぼさぼさ」「赤…元気色」「かどかどし…角角しい…ぎすぎすしている」。



 紀貫之は土佐日記で、「貝」という言葉の言の心を教示している。


 土佐日記 正月十三日

女これかれ、ゆあみ(沐浴)などせむとて、辺りのよろしき処に下りて行く。―略―、舟に乗り始めし日より、舟には紅濃く良き衣着ず。それは、海の神に怖ぢてと言ひて(なのに)、何のあし(葦…脚)かげにことづけて、「ほやの妻の貽すしすしあわび」をぞ、心にもあらぬ、(衣を)脛まで上げて、(海神に)見せける。


 こうして「かひ」の「言の心」が女性であることを学ぶ。歌などでも「かひ」は同じ言の心で詠まれてある。


 万葉集 巻第二挽歌 柿本朝臣人麻呂死せる時、妻依羅娘子の作る歌

且今日今日と吾が待つ君は石川の 貝に交じりて有りと言わずやも
 (今日か今日かと、わが待つ君は、その辺りの女に交わっている、健在だと・言わないか、誰か・言ってくれ……京よ京よと、わが待つ君は、その辺のかいと交わって居るよと言わないか、そう言っておくれよ)。


 「今日…けふ…京…山の頂上…期日などの果て…ものの極み」「石川…ありふれた川の名…その辺の女」「石…岩…女」「川…水…女」「貝…かひ…峡…女性」「やも…詠嘆を含む反語の意を表す」。


 
 人麻呂の死を知らされた時の、帰宅の日を待ち続けていた妻の悲痛な叫び声が聞こえるでしょう。
 


 枕草子の「うしかひ」を「牛飼」と決め付けてしまっては、「心におかしきところ」が消えてしまう。



 伝授 清原のおうな

  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)

 

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による