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帯とけの枕草子〔五十三〕殿上の名対面
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔五十三〕殿上の名対面
殿上の名対面(宿直者の点呼の儀式)は、やはりおもしろいことよ。御前に人が侍る折りは、そのまま名を問うのもおもしろい。足音させてものが崩れるように、殿上の間より出る。それを上の御局の東面にて、女房たちと・耳をすまして聞くときに、知る人の名があると、ふと、いつも胸がどきどきする。また、何とも言ってこない男の声を、この折りに聞き付けたらどう思うでしょう。なのりよしあしきゝにくしなど(名のり良し悪し聞きにくしなど…汝乗りよし悪し効き難し)と、(声の…おとこの)品定めするのも、おかしい。
終わったなと聞いているときに、滝口(警護の武士)が弓鳴らし、くつ音して、どやどや出てくると、蔵人がたいそう高く足を踏み鳴らすさまをして、東北の隅の勾欄に、高膝まずくという姿勢で、主上の方に向かって、滝口には後ろ向きに、「誰だれか侍る(誰々が居るか)」と、滝口に問うのはおかしいことよ。
滝口たちは・高く細く名のり、また、人々が欠席していると、名対面つかまつらない理由を奏上するが、「いかに(どうしてか)」と問えば、障る事(欠席理由)など奏上するのに、蔵人は・聞いてから帰るものなのに、方弘(蔵人)は聞かなかったと君達が教示されたので、方弘は・たいそう腹立てて、滝口を・叱って、かうがへて(処罰を考えて…そのまま更が経て)、また、滝口にさえ、わらわる(笑われる)。
御廚子所(内裏の廚房)の御膳棚に沓を置いて、やかましく言い立てられるのを、きのどくがって、「だれの沓でしょうか、知りません」と殿司(女官)や女房たちが言っていたのに、方弘は・「やゝ、まさひろがきたなきものぞ(あれれ、方弘の汚きものぞ…方弘がきたなき物ぞ)」といって、いとゞさはがる(ひどく騒がれる)。
言の戯れと言の心
「こえ…声…小枝…身の枝…おとこ」「な…名…汝…親しみ込めておまえ」「のり…告り…乗り」「かうがへて…責めて…考えて…更が経て…考えて処罰も無く夜も初更二更と更けて」「くつ…沓…汚きもの…来つ…朽つ…朽ち果てた」「きたなきもの…汚き物…朽ち果てた亡きもの…亡きおとこ」。
方弘は、欠席理由を聞き忘れたのに、滝口に責任転嫁して叱り付け「処罰を考えてやる」などと言ったのでしょう。考えていて、そのまま夜が更けたらしく、滝口にまで笑われた。
方弘は条規を逸している。儀式なので問われてそれに応えるのが正当である。方弘にとって、常軌を逸しているのは、人びとの方である。「いかに」と問わなければ言わないのは、けしからんことである。けれども、此の程度のことで処罰するのは正当ではないと考えていたのである。
条規などは常に硬直しているので、儀式だった行為は常識から見ればおかしい。
例の色好みな「いとおかし」とは、異質なおかしさでしょう。方弘はまた後にも登場する。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子 (岩波書店)による