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帯とけの枕草子〔四十一〕七月ばかりに
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔四十一〕七月ばかりに
七月ばかりに風いとうふきて、雨などさはがしき日、大かたいとすゞしければ、あふぎもうちわすれたるに、あせのかすこしかゝへたるわたきぬのうすきを、いとよくひきゝてひるねしたるこそ、おかしけれ。
清げな姿
七月頃に、風がひどく吹いて雨音など騒がしい日、おおよそ涼しいので、扇もふと忘れてあるとき、彼の・汗の香すこし抱えている綿衣の薄いのを、すっぽりと引き着て昼寝しているなんて、おかしけれ(すてきなことよ)。
心におかしきところ
夫身尽きばかりに、心風がひどく吹いて、お雨など騒がしき日、おお方涼しい心風吹くので、合う気もふと忘れているとき、彼の・汗の香すこし抱えている綿衣の薄いのを、すっぽりと引き着て昼寝しているなんて、おかしけれ(おかしいことよ)。
言の戯れと言の心
「七月…ふみつき…初秋…夫見尽き…夫身尽き」「風…心風」「雨…おとこ雨」「日…日中」「大かた…大方…およそ…おほ方…おとこの方」「すずし…涼し…心風が涼しい…情熱冷えた」「あふぎ…逢う気…合う氣」。
「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし(新撰髄脳)」と、詩歌の達人藤原公任はいう。上品上に評価した優れた歌の批評では、「言葉妙にして余りのこころさえあるなり(和歌九品)」(言葉の用い方は絶妙で心におかしきところさえある)という。
文芸はみな同じ、「清げな姿」だけではなく、「心におかしきところ」があるのを感じ取り、ときにはある「心深い」ところを感じてこそ、読んだといえる。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による