帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔四十一〕七月ばかりに

2011-04-10 00:22:03 | 古典

   



                                      帯とけの枕草子〔四十一〕七月ばかりに



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔四十一〕七月ばかりに

 

  七月ばかりに風いとうふきて、雨などさはがしき日、大かたいとすゞしければ、あふぎもうちわすれたるに、あせのかすこしかゝへたるわたきぬのうすきを、いとよくひきゝてひるねしたるこそ、おかしけれ。

 

 清げな姿

七月頃に、風がひどく吹いて雨音など騒がしい日、おおよそ涼しいので、扇もふと忘れてあるとき、彼の・汗の香すこし抱えている綿衣の薄いのを、すっぽりと引き着て昼寝しているなんて、おかしけれ(すてきなことよ)。


 心におかしきところ

 夫身尽きばかりに、心風がひどく吹いて、お雨など騒がしき日、おお方涼しい心風吹くので、合う気もふと忘れているとき、彼の・汗の香すこし抱えている綿衣の薄いのを、すっぽりと引き着て昼寝しているなんて、おかしけれ(おかしいことよ)。

 言の戯れと言の心

「七月…ふみつき…初秋…夫見尽き…夫身尽き」「風…心風」「雨…おとこ雨」「日…日中」「大かた…大方…およそ…おほ方…おとこの方」「すずし…涼し…心風が涼しい…情熱冷えた」「あふぎ…逢う気…合う氣」。


 

「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし(新撰髄脳)」と、詩歌の達人藤原公任はいう。上品上に評価した優れた歌の批評では、「言葉妙にして余りのこころさえあるなり(和歌九品)」(言葉の用い方は絶妙で心におかしきところさえある)という。

 

文芸はみな同じ、「清げな姿」だけではなく、「心におかしきところ」があるのを感じ取り、ときにはある「心深い」ところを感じてこそ、読んだといえる。

 


 伝授 清原のおうな

聞書 かき人しらず   (2015・8月、改定しました)

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による