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帯とけの枕草子〔五十四〕若くよろしき
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔五十四〕わかくよろしき
若く、よろしき(ちょっといい)男が、下女の名を呼び馴れて言っているのは、にくけれ(感じ悪いことよ)。知りながらも「何にとかや」と、片文字は思い出さないように言うのは、おかし(感じがいい)。
宮仕え所の局に寄って、人を呼ぶのなら・夜などは悪いでしょうが、昼なら・殿司(女官)を、そうではない普通の所などは、侍所の者を連れて来て、呼ばせるものよ、てづからこゑもしるきに(自らでは声もはっきり知られるから…おのずから小枝も汁いので声に出る)。
はしたもの、わらはべなどは、されどよし(はした者や童子などは、そうであっても・声知られてもよい…端下物、子の君などは、そうであっても・汁くてもよい)。
言の戯れと言の心
「よろしき…まあまあである…普通である」「こゑ…声…小枝…身の小枝…おとこ」「しるき…著き…はっきりした…汁き…潤んでいる」「はしたもの…はした者…端下物…端間…女」「わらはべ…童子の様なもの…おとこ」「されど…そうであっても…知られても・顕著であっても・汁るくとも」。
すべて明らかになるのはよくない。言葉も「足らぬこそおかしけれ」。奥ゆかしく、ものに包んでものを言う。
男が自ら女を呼べば、声で誰かがわかり、呼び方で仲の程度もわかって、その小枝の汁るきさまも声に出てしまう。
歌や諧謔は、言葉の戯れを利して本意は清げな衣に包んであるので、清げな姿をしている。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による