このシステムには情報と物質という異質なものが共に実在しています。
このような状況下では
だからと言って
(2)一方を他方に還元できるのでもありません。
この二元論を相互依存的二元論と名付けます。
それぞれの見方によって対象についての理論や説明形態も変わります。
先ず決めるべきことは、
(1)対象を物理的手段によって測定するか
(2)主観で観察するかです。
(1)対象のどの物質的部分(モノ)を
(2)どのように(コト)測定/観察するかです。
(モノ:物質的な存在を指す。コト:非物質な存在を指す。哲学用語。)
測定者ないし観察者が決めることです。
それによって対象の見方/説明の仕方/理論などが決まるからです。
ミクロからマクロまで無限に多くの物質的部分があります。どの部分に注目して、どのような測定器を使って測定するのか。
対象に情報的属性/機能的属性/心的属性のどれを与えるのか。
これらに依存しない見方や説明は有り得ません。
感覚器は、動物の種によって様々です。
色の感覚は、種によってかなり違います。
目の配置によっても見え方が違います。
(2)対象を感覚器で観察した結果を利用して理論を構築する場合
のいずれも理論を構築するのはヒトの脳です。
(1)先ず測定器や感覚器が不可欠であり
(2)それらの結果を利用して理論を作る脳の働きも不可欠です。
(1)モノとしての見方(物理的説明)と
(2)コトとしての見方(心理的/情報処理的/機能的説明)
の両方が同時に可能です。
一方を他方に還元することはできません。
『シュレーディンガーの思索と生涯-波動のパラダイムを求めて-』、
に興味深い話があります:
アインシュタインからシュレーディンガーへの手紙の中に
「あなたは、私がほんとうに相談をしようと思うただ一人の人だ。
ほかの友人はいずれも、現実から理論を見るのではなく、理論から現実を見ているのだ。」
という文章があるそうです。
(1)脳の働きは自然界を認識する脳の機能によるものであり
(2)その機能には哲学/宗教観/人生観などが影響することを考慮すると、
アインシュタインが「現実から理論を見る」ときでも脳の影響を避けることは不可能です。