情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

情報物質問題とは何か

2019-05-04 17:01:35 | 情報と物質の科学哲学

高等動物やロボットは、情報を利用して行動します。

このとき、
「非物質的な情報がなぜ動物やロボットを構成する物質に作用できるのか」
という問題が生じます
れを情報物質問題、これを扱う科学哲学を情報物質の科学哲学と名付けます。

 生物/脳/ロボット/量子における物質と情報とが関わり合う現象の理解には
この哲学が不可欠です。

 情報物質問題を解決しない限り心身問題を解決できないことは自明です。

情報物質哲学が扱う情報物質問題を列挙します:

(1)物質と情報の関係が見かけ上のものか不可欠なものか
  補足説明: 情報という言葉が遺伝情報のように比喩的な意味で使われるのか 神経情報のように不可欠な概念として使われるのか

(2)不可欠ならその情報を対象の物質的性質との関連で定義すること
 補足説明: 神経情報であれば神経パルスとの関わりどの過程でどのように情報として定義され出力されるのか 情報を物質現象との関連で分析するという視点が従来の脳科学には殆どありません

(3)情報と物質という二元論が成り立つか
 補足説明: 定義された情報がそれと関わる物質現象に還元できるのか並行関係にあるのか

(4)情報が対象の構造や機能に果たしている役割
 補足説明: 情報と物質との関わりという観点から分析すること

(5)情報がどのようにして対象の物質的性質と相互に影響するのか
 補足説明: この両面を同時に強く念頭においた分析は殆どありません 意外なことに量子現象の根本的な理解にはこの分析が不可欠です

(6)コンピュータ/脳などの情報処理システムの物質現象と計算過程/情報処理過程の対応関係

(7)入出力システムで入力の本質的役割はその物質的属性なのか情報的属性なのか

(8)情報と時間/空間の関係

(9)量子力学の解釈問題/観測問題/量子現象における物質と情報との関わり
 
補足説明: 量子現象の測定における情報概念の役割

(10)情報と実在性との関連
 補足説明: 時間/空間は自然界に実在するのか 物理量の実在とは何か

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アインシュタイン 珠玉の人生訓

2019-05-04 16:16:41 | 情報と物質の科学哲学

ジェリー・メイヤーほか『アインシュタイン150の言葉』、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
から好きな言葉を引用します:

わたしには、特殊な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。

不運は、幸運とは比較にならないほど、人間によく似合っている。

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

わたしは、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。

人間性について絶望してはいけません。なぜなら、わたしたちは人間なのですから。

いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。

ドイツの諺を思い出します。「人はみな、自分の靴のサイズで物事を計る」。

大切なのは、疑問をもち続けること。

何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である。

過去、現在、未来の区別は、どんなに言い張っても、単なる幻想である。

結果というものにだどり着けるのは、偏執狂だけである。

わたしは、心地よさや幸福などを人生の目的だと思ったことは一度もありません。
わたしは、これらを「豚飼いの理想」と呼んでいます。

何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。

わたしは、真の「孤独な旅人」です。


脳科学のハードプロブレム:クオリア(感覚)の謎

2019-05-04 15:05:07 | 感覚(クオリア)
脳科学におけるハードプロブレムの一つに
「脳という物質から何故感覚(クオリア)が生じるのか」
というものがあります。

ある波長の光を見たときに
(1)ヒトの特定のニューロンが発火して
同時に
(2)そのヒトは”赤い”という感覚(クオリア)を感じるとします。
 
他の波長の光を見たときには
(1)その特定のニューロンは発火せず
(2)”赤い”という感覚も感じないとします。
 
このとき、次の法則が得られます:
そのヒトに対しては、
ある波長の光 ⇔ ”赤い”感覚

この対応規則には次のような問題点があります。
”赤い”という感覚自体は言語で説明できないことです。

故に、この法則は客観的/普遍的なものには成り得ません。
 
先の対応関係からニューロンの発火という原因が”赤い”感覚という結果を引き起こすという帰結も得られません。
何故なら、
(1)ニューロンの発火は物質現象であるのに対して、
(2)”赤い”という感覚は非物質的現象であり
両者のカテゴリーが全く違うからです。
 
カテゴリーの異なるもの同士の間に因果関係は成り立ちません。
 
敢えて因果的に捉えたいなら、
ニューロン発火(物質的原因)→”赤い”(心的結果)
という異次元因果律あるいは異次元作用として理解するしかありません。
 
 以上の議論から
「感覚や意識を言語によって客観的に説明することは原理的に不可能」
という結論が得られます。
 
ニューロンの発火現象を物理的に測定しても、
「赤い」という言葉や”赤い”という感覚(クオリア)を確認できないことは自明です。

「脳現象は究極的には物理則で説明できる」
とする物理還元主義は砂上の楼閣です。

測定によって物理量を情報化すると物理量の次元が失われます

同様に、視覚細胞や聴覚細胞が入力物理量の次元を消滅させます。
神経細胞の出力はどれも神経パルスという同一の形式だからです。
 
失われた物理的次元を心的次元として復活させるのが感覚や意識の役割です。
脳は、多様な物理的次元をもつ物理空間に対応して心的次元をもつ心理空間を作ります。

生物は、進化の過程で脳にそのような機能を獲得したものと推測されます。

図式的には次のようになるでしょう:
     (物理的次元)    (心的次元)
     光の波長と強度  → 色彩の感覚
  空気振動の波長と強度  → 音色の感覚

目に入る光の強度とそれに対する視覚的な印象の強さとの間には
ウェーバー・フェヒナーの法則が成り立つことが精神物理学で知られています。
音や温度などに対しても同様な法則が成り立ちます。

しかし、感覚の印象の強さと感覚そのものとはカテゴリーが違います。
前者は量で表現できるが、後者は量では表現できません。

精神物理学的法則が成り立つからといって、感覚そのものを物理的に説明できるとは言えません。

生理物理学の開祖でもあるヘルムホルツは
「神経興奮(ニューロン発火のこと)から、知覚がいかにして生じるのか」
という問いかけをしています:
大村敏輔訳・注・解説 『ヘルムホルツの思想-認知心理学の源流』、
ブレーン出版(1996)
 
ニューロンの発火と感覚とが「どのように対応するのか」は、解明できますが、「何故、感覚が生じるか」は解明できません。

客観的性格をもつ物理則は、原理的に主観的な感覚を扱えません。

ファインマンは、物質現象が「何故」起こるのかを問えない、「どのよう」に起こるのかを問えるだけだと言いました。

物質現象でさえもそうなのです。

遺伝子の核酸の分子構造発見でノーベル賞を受賞したクリックは、
脳神経科学に転向して意識の解明に取り組みました。
大多数の脳科学者と同様に物理還元主義を信じ、何故意識が生じるのかをニューロンの発火現象から説明しようとしました:
クリック、コッホ
 ”意識とは何か”、別冊日経サイエンス123、特集:脳と心の科学(心のミステリー)(1998)

コッホは、日経サイエンス、2011年9月号で
「人工知能の意識を測る」という記事を書いています。
生きているヒトの意識は、ロボットの意識と同じと主張します。
強いAI主義物理還元主義者の思い込みの強さが分かります。

「ニューロンの発火現象を調べれば意識は解明される」という脳科学のドグマは明らかに砂上の楼閣です。

脳の情報処理モデル・ニューラルネットは、パターン認識器やロボットに利用されれいます。
数理モデルの有効性が実証されていることは、神経パルスに実数を対応させて神経回路を数理モデル化する妥当性を裏付けています。

一方、感覚の場合
(1)それ自体を数値化することも言語化することもできないので
(2)この種のモデル化は不可能です。

人工センサーによる臭いの識別が実用化されていますが、
そのことは臭いの感覚を数値化できることを証明している訳ではありません。
感覚と実数とはカテゴリーが違うので感覚そのものを実数で表現することは不可能だからです。

しかし、人工知能研究者はこの事実を無視します。
 
心とは何かについての入門書があります:
土屋俊『心の科学は可能か』、認知科学選書7、東京大学出版会(1986)
心とは何かを心理的状況だけで説明されても禅問答のようで難解です。
まして、心理的状況と脳現象とを絡めた説明は極めて難解です。
 
科学が言語を用いた学問であることを踏まえると、科学による「心」の説明には原理的な限界があります。

心には直観でしか理解できないことが沢山あります。

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言葉・記号による科学的説明の限界

2019-05-04 13:44:45 | 情報と物質の科学哲学
説明という行為には固有の用語が必要です:
(1)物理的説明: 物理的用語
(2)情報的説明: 情報的用語
(3)心理的説明: 心理的用語
 
各分野の用語は、互いにカテゴリーが違うので他分野の用語に還元できません。
異分野の用語を混用している場面が多々あるので注意が必要です。
 
「1グラム」という言葉と1グラム相当の質量とはカテゴリーが違います。
「赤い」という言葉と○○オングストロームの波長を持つ光とはカテゴリーが違います。
この光を見たときの感覚(クオリア)と「赤い」という言葉とはカテゴリーが違います。
 
「1グラム」という言葉をどのように細工しても質量にはなりません。
「赤い」という言葉をどのように細工してもその感覚にはならなりません。
 
言葉あるいは記号で物理量や感覚そのものを説明することは本質的に不可能です。
ここに言葉あるいは記号による説明の原理的限界があるのです。

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情報概念を利用した物理主義破綻の証明

2019-05-04 10:32:51 | 情報と物質の科学哲学
物理則の最大の価値は、その予測能力にあります。
(1)対象としている系の現在の状態が分かれば
(2)物理則によって系の過去を推測し未来を予測できます。
この能力があるため
(1)量子レベルから宇宙レベルまでの自然現象を予測し
(2)集積回路から宇宙船までの物質現象を制御できます。
 
いま、球あるいは立方体の何れかの形状をもつ物体があるとします。
このとき、物体の形状を認識して
(1)球であればそれに近づき
(2)立方体であればそれから遠ざかる
仕組みを持つシステムを考えます。
 
このシステムの現象は物理則のみで予測できるでしょうか?
システムの機能を実現するには形状認識という情報処理が必要です。
 
球や立方体という概念は、原子/物体の大きさ/質量などの物質的属性に還元できません。
従って、このシステムの現象を物理則のみで予測することは不可能です。
 
物理学者は、この結論について反論しません。
システムがその機能を実現するように作られているから当然だと言います。
 
システムの現象を予測するとき、形状など非物理的概念に関する場面は物理学者の脳で補完します。
この説明法を補完説明と名付けます。
奇妙なことに、物理学者はそのことが問題になるとは考えません。
 
そもそも情報にはシステム依存性があるので、物理学では扱えない概念なのです。
従って、情報に関係するシステムに関する現象は物理則のみでは説明できません。
 
以上の議論から物理則の予測能力には限界があることが分かります。
これを物理学の限界定理と名付けます。
この定理は、後述する言葉・記号による説明の原理的限界によっても証明できます。
 
物理還元主義者は、情報概念の必要性は否定しません。
それにも拘わらず、心や脳を含むすべての現象は物理的概念で説明できると主張します。
しかし、前述の物理学の限界定理によればこの主張は間違っています。
 
科学者によるこのような説明態度は説明詐欺と呼ぶべきもです。
科学者は、情報概念に関する部分は自分の頭の中で補完していることに気付かないですべてを物理則のみで説明できると錯覚しています。
このような説明態度は、説明幻想と呼ぶこともできます。
 
実は、量子力学における観測問題でさえ物理法則のみでは解決できません。
その理由は、測定現象が物理法則のみでは説明できないことに起因します。
 
複雑系/自己組織系においても物理則による予測は事実上不可能とします。
これは、
「初期値の僅かな違いが結果として大きな違いを生む」
ということを主張しているだけです。
物理則そのものに限界があることを主張している訳ではありません。

物理還元主義が消滅しない最大の理由は、遺伝子などの生物現象の一部が量子力学に基づく分子生物学によって解明されたからです。
 
分子生物学誕生前は、生物現象には物理則で説明できない何かがあるとされていました。
物理還元主義者は、脳や心の現象も物理則のみで説明できると頑迷に主張します。
この主張は、前述の物理学の限界定理によって砂上の楼閣に過ぎません。
 
但し、生物学者の中には要素還元主義のみでは生物現象は説明できないと考える人も居ます。
原子の性質のみでは生物現象を説明することはできないと考えています。
生物という全体には要素の性質に還元できない何かがあると主張することもあります。
→全体主義
 
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