空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

原発事故

2011-03-13 14:05:33 | 日記・エッセイ・コラム

 週末、自宅に帰ってから、ずっとテレビを見ていた。繰り返される津波の映像を見るのはつらいが、やはり見てしまう。

 今朝、ろうそくをともし、お線香を立てて、亡くなった方がた、家族の消息を確認できない方がたの苦しみを思い、心をこめて般若心経を唱えた。唱えているうちに、涙があふれてきて、涙声になる。

 どうか、一人でも多くの命が救われますように。亡くなった方がたが思いを残さず成仏できますように。被災された方がたが、これ以上の苦しみを受けることがありませんように。

 地震、津波被害に加えて、福島原発の事故まで起きて、現地の方がたの不安は如何ばかりであろうか。

 私は反原発運動をしている友人がたくさんいて、1991年に関西電力の美浜原発2号機で蒸気発生器の細管破断事故が起きたとき、関電との交渉や、福井県で反原発運動をしている人々の支援活動に参加したことがある。このときは、自動停止せず、たまたま居合わせたベテラン職員のとっさの判断で手動で停止させたため、重大な結果にならずに済んだ。

 今回の福島原発の事故に関して、原子力安全保安院の記者会見や、テレビで解説している原発専門家?などの話を聞いていて、かつての関電の態度を思い出した。

 2号機は老朽化しており、住民が、いくつものもしもの事態を想定して、関電の姿勢を追及すると、彼らは、原発はあらゆることを想定して設計されているので、施設は万全だ、ミスはありえない、もしもという事態は起こりえないという発言をしきりに繰り返した。原発の安全技術を信じ切っているようだった。

 住民側も原発についてはかなり勉強していた。その上で、施設や点検の不備について追及すると、明らかに、素人はこれだから困る、という態度で、専門的な説明を繰り返すばかりだった。

 しかし、このときの事故原因は細管の金具の施行ミス。2004年には、2次冷却水を蒸気発生器に戻す復水管が破裂し、高温の蒸気と熱水が噴出して、5名の作業員が死亡、6人が重傷を負う事故も起きた。定期点検の見落としもあったことが明らかになった。住民側の、もしも、という不安が現実になったのだ。

 2007年の中越沖地震のときには、柏崎原発が火災を起こし、全面停止になった。

 福島原発も、過去に事故を繰り返している。1978年には、日本初の臨界事故が起きたが、東京電力は国に報告しなかった。2007年に発覚し、29年もたって、やっと公表された。89年、90年にもレベル2の事故を起こしている。いずれも、3号機だ。

 地球温暖化が叫ばれるようになり、原発はクリーン・エネルギーだとして、原発容認派が勢いづいている。クリーン・エネルギーなら、半径20キロ範囲の住民を避難させる必要はないのに……。今回の事故で、あらためて、原発の安全性が議論されるだろう。

 テレビで、原発専門家という人が、原発は幾重にも安全性が考慮されて、スタッフも訓練を受けている、というような話をしていたが、絶対ということはありえないし、人間はミスをする動物だ。

 万が一の事態に備えて、原発を作るのは不可能である。想定外のことが、今回の地震のように、いくらでも起こるからだ。現実問題として、電力会社が無限大にお金をかけて安全な原発をつくるとは思えない。

 必要なことは、想定外のことはいつでもどこでも起きうる、すべてをクリアすることは不可能だということを認めることだ。その上で、原発が必要なのか、ほかに選択肢がないか考えなければならない。

 原発をどんどん作り、省エネ電化製品をどんどん作り、ちょっと手を動かせばできることでも電気を使う、髪が乱れるからと電車の窓を閉め切って1年中冷暖房している、となりにいる人と携帯メールで話す。テレビでは、電力会社もガス会社も、オール電化生活のコマーシャルをしきりに流す。こんな私たちの生活は、はたして幸福だといえるのか。 

 地震で亡くなられた方がた、一瞬にして生活基盤を失われた方がた、その人たちの苦しみや悲しみを忘れないためにも、この地震を、本当の幸福とはどういうことなのかを考え、将来あるべき日本や世界を作っていく機会にしなければならないだろう。