昨夜、思いきり悪口を書いて、悪しきカルマを積んでしまったので、朝から気分が悪い。これは悪しきカルマを少しでも善き方へと誘うためのブログ。
昨日、自宅から実家に戻る途中、夕暮れのあぜ道を歩きながら、ホトトギスの鳴き声を聞いた。
自宅は山地に開かれた公団住宅で、目の前にゴルフ場の広大な林があり、夏になるとホトトギスがしきりに鳴く。ホトトギスの鳴き声を、それだと意識して聞くようになったのも、阪神大震災で取り壊しになった街中の公団住宅から、今のところに引っ越してからだ。早朝はもちろん、夜でも鳴き声が聞こえる。
実家近くでホトトギスの声を聴いたのは初めてだった。どこで鳴いているのだろうと周りに聞き耳をたてていたら、どうやら田んぼの真ん中の小山の中から聞こえてくるようだ。
ホトトギスの鳴き声は特徴があるので、古来、和歌や、物語、俳句などに登場するのは、姿より声である。それだけ人里近くで鳴いていたということだろう。
地方によって聞こえ方は違って、「テッペンハゲタカ」だったり、「トッキョキョカキョク」だったりする。父母の故郷、種子島では「トッピイ取れたか」と鳴くそうである。トッピイとはトビウオのことだ。
ホトトギスと言えば、唱歌「夏は来ぬ」にうたわれているように、卯の花が必ず登場するが、ホトトギスが鳴くころに、山道にも、生垣にも、卯の花が雪のように咲いて、良い香りを放つ。
昔も、今も、清楚な花の美しさ、清らかな香りは、人をノスタルジックにする。
ホトトギスを詠んだ歌で、一番に思い出すのは、後白河法皇の皇女で、激しく変化する時代の波に翻弄された、式子内親王の歌。
ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ
式子内親王の歌の師は、『千載和歌集』を編んだ藤原俊成で、この歌は、俊成の息子、定家が編んだ『新古今和歌集』にも採られている。
この歌をめぐって、「ほの語らいし」相手は誰なのか、いろいろ取沙汰されている。著者の名前は忘れてしまったが、法然説をとなえた本を読んで、想像力をかきたてられたこともある。
誰であるにせよ、空間的にも、時間的にも広がりを持つこの歌は、読む者にいろいろなことを想像させる。
卯の花のことは詠まれていないのに、夜の闇にどこからともなく漂ってくる卯の花の香りさえ感じられる。名歌だ。