とよかわ農園より、お米を購入していただいている方とのメールのやり取りの中で、とても興味深い
農業現状への意見がありましたので、掲載させてもらうことにしました。
農家の高齢化は、全国農業人口平均が65歳といいますから、後継者問題や耕作放棄地問題は深刻な
問題です。
穂が見事に稔っているある田んぼで知り合った兼業農家の50歳くらいの男性は、2町5反ほど耕作
していていろいろお話がうかがえて面白かったのですが、別れ際に一言、「こんなもの、ない方が楽だよ」
と言い残して去りました。
私の同僚の兼業農家は、5反しか耕作していませんが、農協が勝手に持ってくる化学肥料と農薬を使用して、
農協の指導のままに作業して、重作業は専業農家に委託している、だから米はかなりの部分を親戚一同に
30kg5000円で買ってもらって、ようやく赤字をまぬがれる程度、息子たちはまったく関心をもって
いないとのこと。
どちらも、慣行農法で、作物を農協に納入している農家さん達の有様です。
その一方で、私の知る限りですが、農業をやりたいという人々は、ほとんどの人が農業とは無縁の世界で
生きてきた人達で、50代後半から60代前半が一番多く、20代、30代、40代の人も少しずついる、
というのが実情のようです。
まず何よりも、農業自体が、つらくても楽しい、やりがいと誇りがある、そして生活が成り立つ、という
ものでなくては、農業の再生はないのではないかと考えています。 作業それ自体の充実感、自然や地域
社会や消費者との良質な応答、まともな生計、そこにそういうものが確保されれば、後継者は呼ばなくて
もやってくるはずです。
慣行農法では、それはむずかしいでしょう。また金儲けのビジネスとして事業参入してくる傾向も同様
でしょう。
「自然と調和した農業」・・・・・これがポイントだと思います。癒しもあり、やりがいもあり、創造性
発揮の充実もあり、でしょう。
福岡正信さんは、若いころの体験で、自然は何も手を加えないでもすべて備えている、世界はひとつだ、
という直観的発見を得て、人知・人為不要の自然農法を開発を志しました。
彼の発見はまったく正しいのですが、人知・人為には、自然に調和する方向での使用と、反自然行為として
の使用があることを、彼の思想言語のなかで明確に区分けしなかったことは惜しまれます。
そもそも畑をつくること自体が、人知・人為な行使ですし、また彼自身の自然農法開発もまた人知・人為の
行使であることを考えれば、自然がゆるす人知・人為の使用というものがあるのは明らかなことです。
自然こそが、人知・人為を人間に付与したのですから。
ただその使用にあたっては、自然との調和、自然とひとつになった直 観・直覚にもとずいて、その範囲で
人知の危険性をよくわきまえながら行使しなさい、ということだと思います。
人知、つまり言語による認識作用は、元来が二項対立、つまり、自対他、人間対自然、生対死、といった
固定的対置性を生み出すことで成立しています。
ですから、たとえば人間対自然において、「人間は自然を支配する」といった対立的定義を受け入れて
しまえば、農薬や化学肥料、遺伝子組み換え種子、なんでも導入は可能になるわけです。
そういう自然や現実の本当の姿から遊離してしまいがちな言語的認識作用の危険性や誤りを指し示し、
正しい方向での人知の運用を示唆してくれるのは、自然や現実とひとつになった直観や直覚の作用しかない、
福岡正信さんはそのことを よく心得ておられたと思います。
木村秋則さんが、自然栽培では観察が大切だと言われるのも、同じような趣旨を含んでいるのかも
しれませんね。
こうして、共感してくださる方々と 繋がれることが何よりも嬉しいです。
自然栽培は正しいのか?と聞かれると、私は正しいとは思いません。
ただ、自分の心に正直になると、自然栽培をやっていて良かったな・・・と感じるから
続けているのだと思います。
みんな、それぞれのやり方があります。
とよかわ農園では、木村秋則さんの自然栽培が自然の理にかなってるなぁと思うところがあるので
それに準じた栽培をしているのだと思います。
共感してくれる方と、未来を共にしていけたら・・・未来は明るい と勝手に思ってます
気になったら・・・お米お試しくださいね
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