韓国地裁判決「極めて残念」=菅官房長官
菅義偉官房長官は26日午前の記者会見で、韓国の地裁が長崎県対馬市の寺から盗まれた仏像に関し、韓国の寺の所有権を認め、現在保管する韓国政府に引き渡しを命じた判決について、「極めて残念だ。速やかに仏像が日本に返還されるように政府側に適切な対応を求めていきたい」と述べた。
対馬で盗難の仏像、韓国の寺に所有権=裁判所が引き渡し命令
長崎県対馬市の観音寺から2012年に盗まれ韓国に運び込まれた県指定文化財の仏像「観世音菩薩坐像」について、「かつて所蔵していたが略奪された」と主張する韓国の寺が韓国政府を相手取り、仏像を引き渡すよう求めた訴訟で、大田地方裁判所は26日、韓国の寺の所有権を認め、仏像を引き渡すよう命じる判決を下した。
日本政府は日本への返還を求めてきたが、一層遠のく見通しだ。
提訴していたのは、中部・瑞山にある浮石寺。14世紀に朝鮮半島などに出没していた海賊、倭寇によって略奪された可能性が高いと主張。窃盗団から没収され大田の国立文化財研究所に保管されている仏像の引き渡しを求めていた。
大田地裁は判決で「仏像は贈与や売買など正常な方法ではなく盗難や略奪で(対馬市の観音寺に)運ばれたとみるのが妥当だ」とし、「仏像は浮石寺の所有と十分に推定できる」と判断。「(政府は)浮石寺に引き渡す義務がある」と指摘した。
大田地裁は13年、観音寺が仏像を正当に取得したことが証明されるまで日本側への返還を差し止める仮処分を出していたが、効力は切れていた。
◇品格を疑う判決
観音寺の前住職、田中節孝(せっこう)さん(70)は「韓国の国家としての品格を疑う判決としかいいようがないが今後の韓国政府の動きを見守りたい。判決が確定すれば、韓国と日本との争いの種を生むことになる」と話した。

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これはドロボーを正当化するチョンのお国柄か、まさにドロボーに追銭的な国家でマトモでは無い事の証明だ。
有史以来、中国から支配され日本からも攻められ近年まで属国、昔の人々には同情もするが、今もって過去を引きずっている国家、人民もマトモで無い様だ。
仏像の姿を見ると衣、帯など何か朝鮮ぽい感じだが...それとも元々、朝鮮にあったものを倭寇などの海賊が分捕って日本に持ち帰ったものが代々引き継がれ日本にあったのか、これと思うが専門家は、どうみているのか。本来の所へ里帰りなども過去にはあった様だが...朝鮮の儒学者モデル仏像??。
お隣4000年、漢字は、その昔に日本はドロボーしたと言っていた気がするが。

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この仏像も盗まれたものの様だが衣のイメージは日本的だが頭部は又、違う様だ。
ネットより頭のボコボコ髪は何の意味...なのか。
螺髪(らほつ)と言って聖者の証です。
仏陀も悟りを開く際、髪を伸び放題にしていたので螺髪(ただの天然パーマなんですけどね…)になったと言われています。
要するに、悟りを開くため、どれだけ時間をかけたかにより、どれだけ立派な螺髪になるか?
それが聖者たる証なのです!
そのため、どんどん螺髪を立派にした仏像が作られ、えらい事になった仏様も居ます。
東大寺の末寺の五劫院(ごこういん)というお寺にある阿弥陀様は別名「アフロ阿弥陀」と呼ばれています。
五劫院の「五劫」の意味は「永遠に近い時間」を意味するそうで、結果、やっちまいました…一応、秘仏で滅多に見られないのですが「アフロ阿弥陀」で検索したら引っ掛かると思います。

倭寇の活動ルートだが海に出て大陸へ...もう鎌倉幕府前600年以上過ぎた出来事。
こんなのでは日本叩きでウサを晴らすことしかガス抜きが無い在日朝鮮人は本国民の見識をどう見ているのか。サムスン財閥が崩壊したら韓国経済持たない、日本にすがりつくしかない現実。
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韓国内でも盗人の国汚名では、法治国家にはほど遠く信用もされず返還の集会...。
対馬の盗難仏像「日本に返還を」 韓国で異例の集会
長崎県対馬市の寺から韓国人窃盗団によって盗まれた仏像について、日本への返還を求めて拳を振り上げる韓国人の参加者ら=12日午前、ソウルの韓国外交省前
長崎県対馬市の寺から韓国人窃盗団が盗んだ仏像を日本に返還するよう求める集会が12日、ソウルで開かれた。韓国人ら約50人が参加。
集会では「韓国人が盗んだ仏像を返さないなら法治国家と言えない」とし、韓国政府に対し日本への早期返還を求めた。こうした集会が韓国で開かれるのは異例だ。
問題の仏像は対馬市にある観音寺の長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像(ぼさつざぞう)」。2012年に盗まれ、13年に韓国で窃盗団が検挙された。仏像も押収され、韓国で保管されている。しかし、韓国の浮石(プソク)寺が日本の海賊「倭寇(わこう)」に略奪された可能性があるとして、所有権を主張。韓国政府に引き渡しを求める訴訟を起こしている。
この日、集会を主催したのは日韓の歴史問題の解決を求める韓国の政党などで戦時中に朝鮮半島から動員された「徴用工」の遺族らも参加した。主催者側は「私たちが日本に歴史に対する謝罪と反省を求めているのに窃盗品を返さないというのは話にならない」などと説明。今後は1万人の署名を集めて文化財庁などに提出するという。
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さかのぼっても明確な根拠も推測しかなく...。
1951年に仏像から見つかった像内納入品の中に、1330年ごろに瑞州(現在の瑞山)にある寺に奉安するため制作されたと読み取れる内容が記録されていた。仏像を補修したり他に移したりする場合は以前の納入品を取り出して、新たな記録を記して像内に入れるのが一般的だとされる。
判決では「そのような資料がない場合、盗難や略奪により仏像の状況が非正常的に変更されたと見なせる」との専門家の見解を引用し、浮石寺の所有を認める根拠とした。また、仏像制作当時に入れられた記録が1951年まで発見されず、仏像が他に移されたという記録も見つかっていないと説明した。
観音寺の歴史や西日本文化協会が発刊した図書「対馬の美術」の中の寄稿文も主な根拠とされた。
観音寺は1526年に建立されたため仏像が1330年ごろに瑞山で制作された後、1526年より以前に日本に渡ったと推定できるとした上で、寄稿文にも倭寇(わこう)が正常ではない方法で持ち帰ったとの趣旨の記載があると指摘した。倭寇は14世紀に朝鮮半島の西海岸に頻繁に出没したとされる。
高麗王朝の歴史書「高麗史」や対馬の郷土研究誌「対馬の自然と文化」でも仏像が制作された時期より後に倭寇が現在の瑞山地域に侵入したと記されているとした。
また仏像に焼けた跡があることなども略奪の根拠とした。