JALの長年のフラッグシップ、
BOEING 747-400が明日最終フライトを迎えます。
私が物心ついた頃は
既に旧羽田空港にはDC-8が少なくなり、
至る所ジャンボでした。
昔の写真や8mmを見ると、
当時の羽田の様子が思い起こされます。
747-400がデビューし、2men crewのウィングレット付きの姿は鮮烈でした。
私の初めての海外旅行も日本航空の747-400でした。
目的地はシドニー。
65Aの席に座り、
赤道から若干南へ下ったところで太平洋上の夜明けを見ました。
真っ暗な機内に朝日が差したことを鮮明に覚えています。
ちょっとうとうとするとコックピットクルーからアナウンスが。
「皆様おはようございます。現在当機はグレートバリアリーフ上空を飛行中です。」
目を奪われました。
シドニー上空では、
初めて見る海外の街が。
シドニーのハーバーブリッジが機窓に見え、
いまでは考えられないほどの緊張ぶりでした。
シャルル・ド・ゴールに向かったときも思い出深いものがあります。
当日の機材は出発前の点検であえなくシップチェンジ。
今となっては見ることができない鶴丸のジャンボに変わりました。
2時間ほどの遅れが出ていましたが、
偏西風に逆らっているのにもかかわらず
シベリア上空の対地速度はそれはかなりのスピードでした。
遅れを挽回し、1時間半ほどの遅れでCDGへ。
初めてヨーロッパへ向かったときも747-400でした。
747-400の退役が決まり、
何か記念にと思い、昨夏シアトルへ。
せっかくなのでバンクーバーまで747-400で。
帰国便で思い切って、FAさんに
「これが747-400の私にとっての最終フライトです。」と告げると、
一風変わったサービスをしていただきました。
いいフライトでした。
シアトルではMuseum of Flightへ。
そこでCity of Everettに出会いました。
じっと眺めていると後ろで博物館の職員らしい老紳士が
やや涙をぬぐいながら後ろから見ていらっしゃいました。
747の開発でご苦労があった方かも知れません。
4発機の安心感も好きでした。
Avionicsもメカの基本設計も
システム全体として枯れていてどんなときも安心していられること。
これが一番の理由です。
最後まで太平洋路線は747-400を選んでいました。
先日成田へ。
平日は休めませんので、じっくりJL75を見納めしてきました。
どれだけ見ても飽きませんでした。
私が長距離路線に乗るとき、いつも747-446でした。
いい思い出がいっぱい出来ました。
どうもありがとう。
http://www.youtube.com/watch?v=RR2N9l8gOtE