あまりにも一目散にプロになってトーナメントに出ることのみを夢とするのは“危険”だと感じる理由については…、
こういう例も有ると言う事で、ある二人のゴルファーのことについて書いておきたいと思います…。
一人は、過去にはトーナメントで優勝したことも有るシニアプロ。
ここに、そのお名前を書くとご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
今、そのプロは無職です。
時々、知り合いのアマチュアの方々とラウンドして“おこづかい程度”は稼いでおられるようだけど、定期的なレッスンなどは、ほとんどなさっていない様子。
「じゃあ、どうやって食べておられるのですか?」と、お尋ねしてみると…(お尋ねしにくかったけど(^^;…)。
「奥さんに食べさせてもらってる」とのこと。
奥さんがパートに出て働いてくれているから、食べて行けてる…とおっしゃっていた…。
私は、「それじゃ、まるで“ヒモ”やん。貴方の男としてのプライドは?ゴルフで稼げないなら、貴方がパートに出てあげたら?」なんて思ってしまったけど…(^^;
ご本人は「自分はゴルフしか出来ない」と思い込んでおられるようだった。
(人間、ゴルフしか出来ないなんてことは有り得ないんですけどね…)
でも、まぁ、それも彼の生き方で、私は、そんな彼の生き方に、何の口出しもしないけど…(^_^;)
トーナメントで優勝したプロゴルファーとしてのプライドや、過去の栄光に縛られ過ぎていると、その後の人生の選択肢を狭めてしまうのかな?…生きにくくさせてしまうのかな?…と思える例である。
もう一人は、何度も何度も何度も何度も何度も………、プロテストやクオリファイ(トーナメントに出場できる権利の順位を決めるトーナメント)にチャレンジし続けている女子ゴルファー。
それだけ何度もチャレンジしても、どれもこれもダメと言うことは、トーナメントの世界からは「無理です」との引導を渡されているようなもの。
それでも、彼女は、それに気づけず、周囲の意見にも耳を貸さずに、チャレンジし続けている。
プロテストやクオリファイを受けるためにかかる費用は、どうしているのか?と尋ねたら「親からの借金」…。
10万や20万円の金額で済んでいるならいいけれど、これだけ毎年毎年、何度も何度も受けていたら、この彼女は、テストを受けるためにかかる費用だけで、「小さな家一軒分」くらいの金額を親から借金したことになる。
演歌歌手なら、苦節何十年の末、大ブレイクすることも有るだろうけど…。
プロの場合、苦節何十年の末、トーナメントでブレイクできる可能性は、もの凄く低い。
はっきり言って、苦節何十年もかかってしまうくらいの実力しか無い…と言うことなのだから。
演歌歌手の場合は、歩んできた人生が歌に反映されて、深みのある歌を歌えるようになったことによって、聴く人の胸を打つ歌が歌えて、大ブレイク…に繋がることは、論理的にも考えられることだ。
だけど、数字が全てのトーナメントの世界においては…それだけ何十年もかかってしまうと言うことは、「そうなのだ」と辛くても認識して、見切りをつけて、方向転換をしないと、借金ばかりが膨れ上がってしまいます…。
「たとえ何年かかっても、私は自分の夢を叶えたい」とする彼女の生き方を、私は否定しないけれど、客観的に見ていると、彼女は、テストにおいて自分の実力が発揮できると言うよりも、“落ちグセ”がついてしまっているかのようだ…。
テストに落ちるにしても、ドンドン、スコアが悪くなっている…(-_-;)
そんな彼女が、苦節何十年の末、トーナメントで優勝した!…となると、素晴らしい“中年の星”になれるかもしれないんですけどね…(^^;
その可能性は…う~ん…なんとも言えない…。
実力が有りながら、彼女のような“落ちグセ”がついてしまった人は、他にも…多分、ごまんといるでしょう。
…人の“生き様”は色々なので、自分に与えられた人生の時間は、自分の思うように使えばいい話なので、本当に、私は、上記のような二人の生き方を、否定しない。
でも、私は、この二人を見ていると、プロになってトーナメントで活躍することを“至上”とし過ぎた弊害を被っているように感じられてならないのである。
見ていて、辛い、見ていて、痛い…。
他にも、顔見知りのプロに会った時、「今、どうしているの?」「今年は、何試合か出られるの?」って尋ねると、「試合は、今のところ全く予定無しで、今は、実家の家業を、時々手伝っている」とのこと。
彼女のように、実家の家業を手伝える人ならまだしも…、プロゴルファーの資格は取得したけど、試合に出られず、まるでニートと化してしまったかのようなプロがいるのも事実。
ゴルフとは全く関係の無い職種で、フリーターをやっているプロもいます。
それでも、彼、彼女たちは、試合に出られる機会をうかがいつつ、ニートであろうと、時給○○○円であろうと、我慢して、トーナメントで活躍できる日を待ち望んでいるんだろうな…。
それは、それで、素晴らしいことかもしれないけれど…這い上がれなければ、このニートやフリーターである年月は、永遠と続く…。
…プロになってトーナメントで活躍する夢を叶えたり、追ったりしている人たち。
そこに自分の夢を乗せて懸命になれるのは、本当に素晴らしいことだと思う。
だけど、これらのことは「それだけが全て」と考えてムキになったり、「それだけは上手いけれど、他は…?」になってしまうのは、ちょっと“危険”かもと思える例である…。
お金の面だけじゃなく、なんか、勿体ないことになっていませんか?…と思えるのだ。
なまじプロゴルファーの場合は、受験に年齢制限の上限が無いために、また、プロになれば、“年会費”を払い続けている限り、生涯プロでいられるから、こういう“危険”も生じてしまうのかな?
プロ野球の場合は、ドラフトで指名されなかったとか、戦力外通告によって、見切りがつけられるんですけどね…。
華やかなトーナメントの一方では、こういうことも有るから、気をつけて…と思う危険性を書いたのと同時に、本日は、“その夢の裏側”の話になったかもしれませんね…(^^;
こういう危険を回避するにも、ゴルフに対する可能性は「試す」より、ゴルフをすることによって「育てて行く」意識が有った方が良いのでは?って思うんですよね。
長くなったので、この続きは、また、後日にします…(^_^;)
こういう例も有ると言う事で、ある二人のゴルファーのことについて書いておきたいと思います…。
一人は、過去にはトーナメントで優勝したことも有るシニアプロ。
ここに、そのお名前を書くとご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
今、そのプロは無職です。
時々、知り合いのアマチュアの方々とラウンドして“おこづかい程度”は稼いでおられるようだけど、定期的なレッスンなどは、ほとんどなさっていない様子。
「じゃあ、どうやって食べておられるのですか?」と、お尋ねしてみると…(お尋ねしにくかったけど(^^;…)。
「奥さんに食べさせてもらってる」とのこと。
奥さんがパートに出て働いてくれているから、食べて行けてる…とおっしゃっていた…。
私は、「それじゃ、まるで“ヒモ”やん。貴方の男としてのプライドは?ゴルフで稼げないなら、貴方がパートに出てあげたら?」なんて思ってしまったけど…(^^;
ご本人は「自分はゴルフしか出来ない」と思い込んでおられるようだった。
(人間、ゴルフしか出来ないなんてことは有り得ないんですけどね…)
でも、まぁ、それも彼の生き方で、私は、そんな彼の生き方に、何の口出しもしないけど…(^_^;)
トーナメントで優勝したプロゴルファーとしてのプライドや、過去の栄光に縛られ過ぎていると、その後の人生の選択肢を狭めてしまうのかな?…生きにくくさせてしまうのかな?…と思える例である。
もう一人は、何度も何度も何度も何度も何度も………、プロテストやクオリファイ(トーナメントに出場できる権利の順位を決めるトーナメント)にチャレンジし続けている女子ゴルファー。
それだけ何度もチャレンジしても、どれもこれもダメと言うことは、トーナメントの世界からは「無理です」との引導を渡されているようなもの。
それでも、彼女は、それに気づけず、周囲の意見にも耳を貸さずに、チャレンジし続けている。
プロテストやクオリファイを受けるためにかかる費用は、どうしているのか?と尋ねたら「親からの借金」…。
10万や20万円の金額で済んでいるならいいけれど、これだけ毎年毎年、何度も何度も受けていたら、この彼女は、テストを受けるためにかかる費用だけで、「小さな家一軒分」くらいの金額を親から借金したことになる。
演歌歌手なら、苦節何十年の末、大ブレイクすることも有るだろうけど…。
プロの場合、苦節何十年の末、トーナメントでブレイクできる可能性は、もの凄く低い。
はっきり言って、苦節何十年もかかってしまうくらいの実力しか無い…と言うことなのだから。
演歌歌手の場合は、歩んできた人生が歌に反映されて、深みのある歌を歌えるようになったことによって、聴く人の胸を打つ歌が歌えて、大ブレイク…に繋がることは、論理的にも考えられることだ。
だけど、数字が全てのトーナメントの世界においては…それだけ何十年もかかってしまうと言うことは、「そうなのだ」と辛くても認識して、見切りをつけて、方向転換をしないと、借金ばかりが膨れ上がってしまいます…。
「たとえ何年かかっても、私は自分の夢を叶えたい」とする彼女の生き方を、私は否定しないけれど、客観的に見ていると、彼女は、テストにおいて自分の実力が発揮できると言うよりも、“落ちグセ”がついてしまっているかのようだ…。
テストに落ちるにしても、ドンドン、スコアが悪くなっている…(-_-;)
そんな彼女が、苦節何十年の末、トーナメントで優勝した!…となると、素晴らしい“中年の星”になれるかもしれないんですけどね…(^^;
その可能性は…う~ん…なんとも言えない…。
実力が有りながら、彼女のような“落ちグセ”がついてしまった人は、他にも…多分、ごまんといるでしょう。
…人の“生き様”は色々なので、自分に与えられた人生の時間は、自分の思うように使えばいい話なので、本当に、私は、上記のような二人の生き方を、否定しない。
でも、私は、この二人を見ていると、プロになってトーナメントで活躍することを“至上”とし過ぎた弊害を被っているように感じられてならないのである。
見ていて、辛い、見ていて、痛い…。
他にも、顔見知りのプロに会った時、「今、どうしているの?」「今年は、何試合か出られるの?」って尋ねると、「試合は、今のところ全く予定無しで、今は、実家の家業を、時々手伝っている」とのこと。
彼女のように、実家の家業を手伝える人ならまだしも…、プロゴルファーの資格は取得したけど、試合に出られず、まるでニートと化してしまったかのようなプロがいるのも事実。
ゴルフとは全く関係の無い職種で、フリーターをやっているプロもいます。
それでも、彼、彼女たちは、試合に出られる機会をうかがいつつ、ニートであろうと、時給○○○円であろうと、我慢して、トーナメントで活躍できる日を待ち望んでいるんだろうな…。
それは、それで、素晴らしいことかもしれないけれど…這い上がれなければ、このニートやフリーターである年月は、永遠と続く…。
…プロになってトーナメントで活躍する夢を叶えたり、追ったりしている人たち。
そこに自分の夢を乗せて懸命になれるのは、本当に素晴らしいことだと思う。
だけど、これらのことは「それだけが全て」と考えてムキになったり、「それだけは上手いけれど、他は…?」になってしまうのは、ちょっと“危険”かもと思える例である…。
お金の面だけじゃなく、なんか、勿体ないことになっていませんか?…と思えるのだ。
なまじプロゴルファーの場合は、受験に年齢制限の上限が無いために、また、プロになれば、“年会費”を払い続けている限り、生涯プロでいられるから、こういう“危険”も生じてしまうのかな?
プロ野球の場合は、ドラフトで指名されなかったとか、戦力外通告によって、見切りがつけられるんですけどね…。
華やかなトーナメントの一方では、こういうことも有るから、気をつけて…と思う危険性を書いたのと同時に、本日は、“その夢の裏側”の話になったかもしれませんね…(^^;
こういう危険を回避するにも、ゴルフに対する可能性は「試す」より、ゴルフをすることによって「育てて行く」意識が有った方が良いのでは?って思うんですよね。
長くなったので、この続きは、また、後日にします…(^_^;)
人生とは日々刻々と可能性を捨ててゆくものだ、と何かで読みました。
生まれたばかりの赤ん坊は、ほぼ無限の可能性を持っているけれど、
人生の最期の瞬間では、「死ぬ」というたった一つの可能性しか
残らないものだと。
可能性を追い求めるのは人間の性。可能性を捨てるのも人間の性。
そのはざ間で悩み、気を取戻し、諦め、落ち込むのが人間です。
どう生きるか?
については、どれが正しいとは言えない、
まさに、明確な答えの無い問いですよね。
ゴルフを楽しみはじめる子供たちの親御さんよりも、年齢的に上になった今、
また、プロの世界の裏表を見てきた人間として、
語れることは語っておきたいな…と思って書いてます。
まだ、『一目散に…』は続きます…(^.^)