若いティーチングプロや、レッスン経験の浅いティーチングプロと話していると…、
「レッスンをすると、余計に、その人のスイングが崩れてしまって…、どうしようか…(汗)、と思う時が有る…(苦笑)。
そんな時って無いですか?」
って、尋ねられることが有る。
それを聞いた私…。
「有るよ…」と…(~_~;)
でも、その原因を探ってみると…、
一時期は、仕方ないのかな?と思える。
(レッスンを受けたりして)人の意見を取り入れて、自分のスイングを変えると言うことは、これまでに“し慣れている”動きを変えようとすること。
“し慣れない”動きなので、動き辛い。
どう動けば良いかを考えながらクラブを振ろうとするため、リズムやテンポが悪くなる。
頭を働かせながら身体を動かそうとするのは、ジョギングをしながら計算問題を解こうとしているようなものなので、とても動き辛い。
また、レッスンをお受けになる方と、レッスンをする側との、スイングに対する考え方やイメージが違い過ぎる場合も、変わりにくい。
お互いの頭の中を理解し合うまでに、時間がかかるのだ。
だから、それまで、言わば“自己流”で、長い間、練習をなさっていた方の場合は、「レッスンを受けはじめたら、余計におかしくなった」なんてことは、どうしても起きてしまいやすいんじゃないか…と思う。
レッスンをする方に、崩そうなんて意識は全く無いのだが、崩れてしまう…。
そういう時って、責任も感じるし、レッスンをしているのも、辛くなって来る。
レッスンを受けておられる方も、崩れるのがイヤで、自分の“し慣れている”スイングで振ってしまうと、レッスンを受けても、以前と変わらないままのスイングになってしまう…。
…だから、こういう時は、レッスンをお受けになる方も、レッスンをする方も、双方に、我慢や辛抱の時なのかもしれません…。
そこで、本日は、こんな言葉を…。
『一念発起は、誰でもする。
努力までなら、みんなする。
そこから一歩抜き出るためには、努力の上に辛抱という棒を立てろ。
この棒に花が咲く。』
これは、落語家の桂小金治さんが、幼少の頃に、お父様から言われた言葉なのだそうだが…。
一念発起して、レッスンを受けてみようと思った。
頑張って練習して、努力している。
しかし、その努力が報われるには、辛抱が要る。
花は、辛抱する木に咲くのである(^_^)v
…この言葉、私も、良い言葉だと思っています(^^)
「レッスンをすると、余計に、その人のスイングが崩れてしまって…、どうしようか…(汗)、と思う時が有る…(苦笑)。
そんな時って無いですか?」
って、尋ねられることが有る。
それを聞いた私…。
「有るよ…」と…(~_~;)
でも、その原因を探ってみると…、
一時期は、仕方ないのかな?と思える。
(レッスンを受けたりして)人の意見を取り入れて、自分のスイングを変えると言うことは、これまでに“し慣れている”動きを変えようとすること。
“し慣れない”動きなので、動き辛い。
どう動けば良いかを考えながらクラブを振ろうとするため、リズムやテンポが悪くなる。
頭を働かせながら身体を動かそうとするのは、ジョギングをしながら計算問題を解こうとしているようなものなので、とても動き辛い。
また、レッスンをお受けになる方と、レッスンをする側との、スイングに対する考え方やイメージが違い過ぎる場合も、変わりにくい。
お互いの頭の中を理解し合うまでに、時間がかかるのだ。
だから、それまで、言わば“自己流”で、長い間、練習をなさっていた方の場合は、「レッスンを受けはじめたら、余計におかしくなった」なんてことは、どうしても起きてしまいやすいんじゃないか…と思う。
レッスンをする方に、崩そうなんて意識は全く無いのだが、崩れてしまう…。
そういう時って、責任も感じるし、レッスンをしているのも、辛くなって来る。
レッスンを受けておられる方も、崩れるのがイヤで、自分の“し慣れている”スイングで振ってしまうと、レッスンを受けても、以前と変わらないままのスイングになってしまう…。
…だから、こういう時は、レッスンをお受けになる方も、レッスンをする方も、双方に、我慢や辛抱の時なのかもしれません…。
そこで、本日は、こんな言葉を…。
『一念発起は、誰でもする。
努力までなら、みんなする。
そこから一歩抜き出るためには、努力の上に辛抱という棒を立てろ。
この棒に花が咲く。』
これは、落語家の桂小金治さんが、幼少の頃に、お父様から言われた言葉なのだそうだが…。
一念発起して、レッスンを受けてみようと思った。
頑張って練習して、努力している。
しかし、その努力が報われるには、辛抱が要る。
花は、辛抱する木に咲くのである(^_^)v
…この言葉、私も、良い言葉だと思っています(^^)