ゴルフの空(GET Golf Academy 主宰 松村公美子のブログです)

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愛せる人へ…

2011年01月18日 | 読書 ・鑑賞・観劇録
今年の最初に読もうと思っていた『愛するということ』を、やっと、読んだ(笑)。

今年のはじめに“愛”と思っていたのだが、ちょっと浮気をしてしまっていた(笑)。

この『愛するということ』は、恋愛指南みたいな本ではなく、もっと人間愛に根差した高尚な愛についての本だった。
(まぁ、私の期待通り…)

この本に書いてあったことで、フムフム…と思ったことを、書いておきたいと思う。

『(愛を)与えるという行為のもっとも重要な部分は、物質の世界にではなく、ひときわ人間的な領域にある。
自分のなかに息づいているものを与えるということである。
自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるということである。
与えるという意味で人を愛することができるかどうかは、その人の性格がどの程度発達しているかということによる。
愛するためには、性格が生産的な段階に達していなければならない。
この段階に達した人は、依存心、ナルシズム的な全能感、他人を利用しようとかなんでも貯めこもうという欲求をすでに克服し、自分のなかにある人間的な力を信じ、目標達成のためには自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。
これらの性質が欠けていると、自分自身を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。』

『幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。
未成熟の愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。』

『理にかなった信念と根拠のない信念とを区別しなければならない。
理にかなった信念とは、自分自身の思考や感情の経験にもとづいた確信である。
この信念は、自分自身の経験や、自分の思考力・観察力・判断力に対する自信に根ざしている。
根拠のない信念というのは、ある権威、あるいは多数の人びとがそう言っているからというそれだけの理由で、何かを真理として受け入れることだ。』

『私たちは自分自身を「信じる」。
私たちは、自分のなかに、一つの自己、いわば芯のようなものがあることを確信する。
「私は私だ」と言う確信を支えているのはこの芯である。
自分のなかに自己がしっかりあるという確信を失うと、「私は私だ」という確信が揺らいでしまい、他人に頼ることになる。
そうなると、「私は私だ」という確信が得られるかどうかは、その他人にほめられるかどうかに左右されることになる。
自分自身を「信じている」者だけが、他人に対して誠実になれる。』

『愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。
愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。』

『人を愛するためには、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなければならない。
そして、そのためには、生活の他の多くの面でも生産的かつ能動的でなければならない。
愛以外の面で生産的でなかったら、愛においても生産的にはなれない。』

…結局、人を愛せる人間になるには、自分で自分を信じることのできる自分自身を作って行くこと。
自分自身を内側から成長させて行くこと。
なのでしょうね…。

やはり、大きな愛を醸し出せる人間に、なって行きたいです。

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